月別アーカイブ: 2013年7月

批判について

 選挙が終わってしばらく経つ。それは選挙前からずっと続いてきたことであるが、当選した山本太郎についての批判は今も止まない。
 彼の主張がどうだということはとりあえず置いておいて、その主張について僕が賛成なのか反対なのかもここでは置いておきたい。一応軽く言っておくと、賛成のところもあり、反対のところもあるという感じだ。それはほとんどの人に対してそうだ。100%一致も、100%不一致も有り得ないと思う。
 僕が現時点で支持していない2つの政党から、高校時代の同級生が2人国会議員として頑張っている。うちひとりは今回の参院選で当選した人だ。支持していない政党から出ているという時点で、同級生であっても政策の支持はしない。だが政策の支持をしないからといって同級生でなくなるわけではないし、同級生が頑張っている姿を見るのは良いことだと思う。だから、頑張れと言いたい。頑張ってもらうことで僕が支持しない政策が推進されることにもなるのかもしれないが、それでも同級生には頑張るなとは言いたくない。やはりかけるならば言葉は「頑張れ」だ。
 で、山本太郎。頑張って当選した。良いじゃないかそれ自体は。しかし批判は今も止まらない。これは一体なんなんだろうかという気がする。
 思うに、それは山本太郎に頑張ってもらったら本当に心底困るという人なのだろう。他にもたくさん国会議員はいるだろうし、それぞれの議員について快く思っていない人は少なからずいるだろう。なのにそういう人たちへの批判はあまり表に出てこない。出てくるのは山本太郎への批判ばかりだ。それなりに政策に対する論拠ある批判ならばまだいいが、そういうのとはまったく違う人格攻撃のような批判もかなりの割合見受けられる。
 これは山本太郎に頑張られたら困る人がかなりいるということでもあるのだろう。具体的に批判を口にしている著名人や知識人たちももちろん、そういう人たちを背後で後押ししている人たちも相当数いると思われる。何がそんなに困るのだろうか。反原発で山本太郎がひとりで頑張ってみたところで、他の議員が同調しなければ法律を変えることなど不可能だし、彼ひとりの力では原発は止まらない。そんなことは明らかだ。彼を批判している人の考えが仮に正しくて、彼以外の議員に批判している人が考えているような分別があれば、原発に関することの大勢はまったく変わらない。それなのに困るのは何故なのだろうか。
 思うに、国会議員でなければ知ることの出来ない情報というのがあるのだろう。そこに彼のような人間がアクセスし、その情報が公になることが大変困ることなのではないだろうか。秘密にしておきたい、隠しておきたい何かがあって、それを職業政治家だったら他の様々なことと天秤にかけて「じゃあそこは触れないように」ということも出来るのかもしれないが、山本太郎はそういう政治屋の処世術は持ち合わせていない。事実はどうか知らないが少なくともそう思われているし、やらなくてもいいことに首を突っ込んできて自分の主張を続けている。そういう人が議員のみが知り得る何かを知ることが、とても困るのではないだろうか。
 僕は東京に選挙権はないので彼には票を投じてはいないし、もし東京に住んでいたからといって彼に大きな期待をして投票をしたかと言われれば甚だ疑問だ。しかしながら、彼がここまで批判されているのを見ると、どうにも判官贔屓な性格が刺激されるのも事実。彼に大きなことが出来るのかどうかはまったく未知数だが、そんなに大きなことなど出来なくとも、風穴を開けるような正解のスズメバチのような存在としてとりあえずこの6年を過ごして欲しいと思う。それはある意味支持政党ではない党から国会議員になったかつての同級生へ期待するのと同じ程度の期待である。まあとにかくやってみろよと。組織もないところから頑張ったのだし、それなりの支持も得て国会議員になったのだ。何もしないうちから政治家の資質とは関係ないところで足を引っ張るようなみっともないマネは、もうみんなやめたらどうだという気がする。

参院選を終えて

 投票日の21日。僕は前日に引き続き大学時代の旧友たちと一緒に京都巡りをしていた。早朝の東福寺座禅から始まり、ル・プチメックでの朝食、下鴨神社のみたらし祭を経て、今宮神社のあぶり餅に丸太町十二段家のお茶漬けランチなどなど、優雅なのかせわしないのか判らないような京都巡り。3時過ぎに東京への帰途につく友人たちを京都駅に送り、帰宅。そこから家族と一緒に近くの小学校へ投票に行った。
 そして8時。開票速報開始と同時に自民圧勝の結果予測が。まあこうなるのだろうと諦めに似た気持ちを最初から持っていたので特別驚きもしないが、やるせない気持ちはやはり隠せない。なぜこうなると予測したのか。早い話が野党の分裂である。野党がそれぞれ勝手なことを勝手に言っているのでは、自民に勝てるはずが無いのである。
 理由は簡単だ。非自民の票が割れるからである。その結果選挙区での上位には割れていない自民が入ってくる。1人区では最上位の得票を得た候補が当選する。野党の票をすべて合わせたら決して自民に負けていない選挙区ばかりだろう。しかし野党が割れるから自民が勝つ。それだけのこと。単純な話だ。
 では数合わせだけで選挙協力をすればいいのか。それもダメだろう。数合わせで選挙協力をしても、結果として個々の候補者や政党が持っている理想や意見が違うのであれば、当選しても結局途中で意見が衝突する。それも木を見て森を見ず的な些細なことでだ。最終的に国民のためになどはならない。これまでの政権交替もそうだった。宮沢政権が野党に転落したときの細川政権は、社会党の離脱によって瓦解した。民主党による政権交替は、菅野田前原枝野仙谷らによる内部分裂工作によって民主党そのものが割れ、瓦解した。小沢一郎は細川政権の時には政権内の主流派で崩壊に至り、民主党政権の時は反主流派で崩壊に至っている。
 今の政治状況を考えると、野党が割れるための仕掛けが幾重にも仕掛けられているようにさえ感じる。
 まずは維新とみんなだ。この両党はスタートが自民党であると言ってもいいだろう。みんなの党は渡辺喜美による政党で、公務員制度改革を訴えている。彼は第一次安倍政権の時の規制改革担当の大臣である。その主義主張は一貫しており、政治姿勢は真っ当だとも思われる。しかし、公務員制度改革の核心は天下りの廃止だ。この点に斬り込んだ場合に官僚の反撃はものすごいものになる。はずである。だがそこまでの逆風を受けているという様子は無い。小沢一郎はあれほどまでの逆風を受けているというのにだ。それは何故なのか。ここから先はまったくの推測であり妄想でしかないレベルではあるが、渡辺喜美が自民党を離れてみんなの党を小さい規模で成立させることの意味は何なのかということを考えてしまう。非自民といいながら政界に一定の小規模集団がいれば、小選挙区や参院の一人区では非自民の票を割れさせ、結果的に自民をアシストする役割を担う。このことは実は大きい。
 維新は橋下徹が大阪府知事時代に始めた動きだ。彼自身は当初から自民だったわけではない。だが維新が政党となり、幹事長として松井一郎が加わった辺りから様相が変わる。松井氏はそもそも自民党大阪府議団の政調会長だった人だ。昨年には自民党で無役だった安倍晋三と橋下徹が密会し、安倍晋三が維新に入るのかとまで言われた。
 その維新とみんなの党は合併に近いところにまで行きかけた。それに反対していた渡辺喜美を党代表から外してでも合併するべきと動いていた江田憲司が強力に押し進めていた。だが土壇場で橋下徹の慰安婦発言問題が起こり、合併の話は完全に消えた。あの発言は何故行なわれたのだろうか。これも完全に妄想の域だが、僕は両党が合併すると困ると考える人がいたのではないかという気がしている。今回の参議院選挙で参議院の過半数を押さえたい与党にとって、両党の選挙協力によって自民の議席が減るのはまずかったはずだ。そしてあのまま選挙協力が進めば、今回の選挙で一種のブームがおこるかもしれない。野党の中で突出する議席数を確保されたらまずい。1人区で自民が負けるようなところも出てきただろう。それは何よりマズいのだ。そのためには両党が合併できなくなるはっきりとした理由が必要になる。慰安婦発言は合併の障害としては完璧だった。その発言を意図的に橋下徹が行ない、それを受けた渡辺喜美が堂々と合併を拒否する。こんなシナリオがどこかで書かれたとしても何の不思議も無いという気がする。
 斯くして弱小野党が乱立し、自民が相対的に浮上した。けっして自民が支持されたわけではない。実際に支持されていないと思う。だが、結果として大勝した。これは丁寧な政策の訴えによるものではなく、事前の政党分断工作が着々と進んだ結果なのではないかと思う。
 もうひとつ気になっていたのは、みどりの風の存在である。今回の参院敗北によって、議員は亀井静香と阿部知子だけになった。落選した谷岡郁子は「みどりの風はその役割をたぶん終えた」と話している。役割とはいったいなんだったのか。政策的にはほとんど変わらない生活の党とどうしても合流することなく政党として参院選まで引っ張ってきて、参院選が終わった時点で「役割を終えた」と言われたら、なんの役割を担っていたのだと突っ込みたくなる。結局野党を分断することだけが役割だったのかと穿った見方をしたくなる。生活の党の比例得票が943,836票、みどりの風の比例得票が430,673票。合計すれば1,374,509票だ。社民党が1,255,235票で1議席を獲得しているということは、生活+みどりの風だって137万票あれば1議席は確保できただろう。なのにしなかった。なにをか言わんやである。もちろんこれも多分妄想の一種でしかないことなのだが。
 選挙結果が出た今朝、TwitterのTLで目立ったつぶやきがあった。それは緑の党から比例区で出馬した三宅洋平の得票数についてだ。「当選:ワタミ 渡邉美樹 104,176 / 落選:三宅洋平 176,970」というもの。得票数が多い三宅洋平が落選するのはおかしいということなのだが、これは間違っていると思う。比例代表の個人名はあくまでその政党の中での順位を決めるものであって、個人名を書かずに政党名を書いている有権者もたくさんいるのだ。ワタミの当選は自民党とだけ書いた人の数によって決まったものだというのが正しい解釈だといえよう。三宅洋平と書いた人はたくさんいるけれども、緑の党と書いた人が圧倒的に少なかったということである。
 要するに、比例区で出るなら大きな政党からということになるのだろうか。ルール的にはその通りであって、それに憤っても仕方が無い。ただ、こういう結果を見せつけられると寄らば大樹の陰という雰囲気が浸透していくんじゃないだろうかという気がする。政党で125万票が必要なのだとしたら、それを取れる政党でなければならない。より巨大な政党であればあるほど、個人の集票力が低くても当選しやすい。それは大きな会社の方が安定するというのと似ているし、不況の20年を過ごしてきた日本で、大きな組織に擦り寄っていく気持ちが高まったとしても不思議は無い。政治の世界はこれまであまり若い世代に関心が薄かったから、選挙の結果から若者の気持ちに影響を与えるということはこれまで少なかっただろうが、三宅洋平というミュージシャンの選挙フェスという戦法によってこれまで選挙に関心をあまり持たなかった若い世代にアピールしたというのは結構な事実だろうと思う。そしてその結果を受け、選挙制度のことをあまり知らない人たちが「ワタミより得票数が多いのに落選って納得できない」と騒いでいる。これが、落胆につながっているのは間違いないと思う。大切なのはこの落胆が再びより深い政治不信につながるということをどう避けるのかということなのではないだろうか。社会に生きる上で政治は無視できるはずも無い。だから意識無意識を超えて関わらざるを得ないわけで、そのときの関わる態度として、「寄らば大樹の影なんだな。いきがっても仕様が無いんだな」となってはマイナスだし、「政治つまんね。無駄なだけだからもう二度と選挙なんて行かない」ではもっとマイナスだ。やはり今回の現実を受け止め「次に勝利するにはどうしたらいいんだろう」というバネにするような、そんな気持ちになっていってもらいたいし、そうなるべきであって、今回若い有権者たちを政治に振り向けた三宅洋平という人にはその責任があると思う。それは当選して議員になるならないを超えたものであって、それが出来るのであれば議員ではなくとも政治家としての資質十分ということになるだろうし、それが出来ないのであれば、そもそも政治家の資質もなかった人ということになってしまう。そこがひとつの試金石になるんだろうし、今後の彼の活動は注目していきたいと思っている。あ、そもそも僕は彼に票を入れたりしてはいないんだけれども。
 長くなってしまったが、言いたいことはもっともっとある。でも、仕事もしなきゃいけないし、今回はこの辺で。

祇園祭

 京都の祇園祭は7月1日から31日までのお祭りだ。だが一般的には17日の山鉾巡行とその前の宵山、宵宵山などを祇園祭ということが多い。だから昨日の山鉾巡行で僕の中では祇園祭も終わったなあという気分になっている。
 祇園祭は京都の3大祭りのひとつ。だが桜や紅葉などのように10日以上の幅がシーズンとしてあるわけではなく、だから17日が休日にならなければ見に行くことはかなり難しい。しかも夏休みを取るには少しばかり早く、だから東京に住んでいた頃の僕にとってはなかなか行くことの叶わないお祭りだった。
 しかし京都に移り住んで、しかも祭りの場所が職場から歩いてせいぜい2km程度ということになり、毎年、いや場合によっては毎日見にいくことが出来るようになった。これは嬉しい。嬉しいぞ。
 で、最初の年には昼から行った。だが夏の京都は暑いのだ。汗ダラダラになり、ほぼすべての山や鉾を見て回った。宵山には奥さんと行った。ものすごい人で前に進むもままならず、夜になってもまだ暑い上に人の熱気が辺りに充満している。おかげで奥さんは多少不機嫌に。翌日の山鉾巡行には行けずじまいだった。
 2年目は長男が生まれて1ヶ月後。奥さんと長男は三重の実家で過ごしていたので、僕はひとりで祇園祭見物。17日の山鉾巡行を初めて生で観た。見てみるとなんだこんなものかという気もあり、やっぱすごいなあという気もあり。それは毎年見られるという余裕と、奥さんも生まれたばかりの子供も近くにいないということが入り交じった感覚でもあった。それはそうだよな。奥さんも子供もそっちのけで祭りにのめり込むほど、僕は祭りに参加していないただの見物客にすぎないのだし。
 そして今年、僕は1歳になった長男と2人で、祝日の15日に見物に出かけた。2人して月鉾と函谷鉾に昇った。函谷鉾ではお囃子が生で演奏されていて、長男はビックリしたのかキョロキョロしていた。演奏の音にびっくりなのか、高いところにびっくりなのかは判らないけれども。僕は福岡生まれのある意味他所者なのだが、息子はれっきとした京都生まれ。祇園祭というものをどういう風に感じるのだろうか。もちろん鉾町に暮らしているのではないから祭りの当事者ということではないとは思うが、住んで3年目にしてまだ見物客的な意識の僕とはまったく違った感じ方をするようになるのではないだろうか。
 17日には山鉾巡行。昨年は四条河原町に陣取って辻回しを見た。今年はそこまで朝早くから行かず、11時半に御池新町を曲がった後の新町通りで見物。細い通りを大きな鉾が通り過ぎていく様は圧巻だった。

 同じ山鉾巡行も、見る場所で見え方が全然違う。来年はどこで見ようかと今から楽しみだ。息子を連れて夜の祇園祭を見物できるのはいつになるのだろうか。それも今から楽しみで仕様がない。

もやもや

 どうもこうもいろいろなことが立て込んでいて、仕事にならん。いや、仕事にならんというのはウソで、急ぎの割込み仕事をしているうちに、ルーティーンの仕事が疎かになるという、そして疎かになってペースが落ちることによって「もう取り戻せないなあ」という一種の諦め的な何かが心を支配するという、ある意味の悪循環に陥っているのである。
 こういう時はどうするのか。一旦リセットするということだろう。リセットといってもそんなに大げさなことではなくて、「ペースが落ちている」という意識を一旦捨て去るということ。そしてルーティーンをきっちりやっていた頃に戻るように、それを淡々とやるペースをとり戻すということだ。それはこのブログもそう。メルマガもそう。しばらく間が空くと「ああ、申し訳ないなあ」という気持ちになる。だがそれは誰に対する申し訳ないなのだ?有料でメルマガをやっているのならともかく、まだ誰に迷惑ということでもないはず。だったら、自分で自分の気持ちに整理をつけて、また始めれば良い。そうしてペースを取り戻せば良い。というか、そうやって取り戻していくことも織り込んだ上での、ペースなんだと勝手に理解すればいい。
 というわけで、モヤモヤした気持ちをはらすために、また再開します。別に「中断」とか「ブログ休止」とか言ったわけじゃないから、再開っていうのもヘンなんだけれども。

長男が立ちました

 今月に入って、その兆候はあったのだ。なんか立ちそう。嬉しくなって僕は息子(1歳と半月ほど)が僕の手につかまり立ちをする時に、なんとか立たないものかとそーっと手を離してみたりしていた。
 そんな姿を見つかって、奥さんにやんわりと諭された。まだ小さな子供なのだから、自分で立つのが恐いんだと。自分のタイミングで立つならいいけど、お父さんに手を離されて転んだりしたら余計に恐くなって、トラウマになっちゃうよと。そりゃそうだ。僕が悪かった。例えが適切かどうか分からないけれど、バンジージャンプみたいなものかもな。好きな人は全然平気そうだが、僕は絶対にイヤだ。それを父親に無理矢理飛ばされたら、僕も父親のことが嫌いになるかも。
 嫌われたら困る。それは困る。今のところお父さん大好きな感じの息子なのだ。嫌われたら生きていけないよ。
 というわけで、あまり無理には立たせようとしなかった。だが昨日、仕事から帰宅していつものように戯れていたら、僕の腿につかまって立っていた息子がそーっと手を離した。自分からだ。そして5秒、10秒、20秒と結構長いことバランスを取ってこっちを見ている。お父さん(僕)はちょっと呆然。新種の鳥を見つけたらきっとこんな感じなのかもしれない。驚くというより、なんだそれというような、感じ。でもそれが本当の気持ちだった。
 奥さんによると、昼間に1度立ったのだそうだ。でもその時は1度だけ短い時間立っただけで、その後はずっと立つ素振りも見せなかったのだと。それが僕が帰って来て早々に20秒以上立ったり、それを何度も繰り返しているのは、きっとそれまで立たせようとしていたお父さん(僕)に見せたかったのではないかと。そういえば立ってる時に見せる笑顔はどことなく誇らしげなドヤ顔だ。こんな顔も出来るのか。立てるようになったのと同時に、こんな顔も出来るようになったんだと、嬉しいような不思議な気持ちが沸き上がった。
 立つのはひとつの通過点だ。特別な事情が無い限り、普通は立つ。これまでも寝返りを打ったり、はいはいしたり、つかまり立ちをしたりしてきた。これからも歩くし、走るし、泳いだりもするだろう。そういうことのひとつの通過点に過ぎないのは分かっているけれども、ひとりで立てるようになるというのは、なんか特別な感慨があるような気がしている。それは、嬉しさと、反面の寂しさでもある。成長していくというのは不思議なものだ。
 かつて大学に行くために実家の福岡を離れたとき、僕は将来何らかの出世か成功をして、それから故郷に錦を飾ろうと考えて、休みにも帰省せずにいたりした。未だ錦を飾れてはいないが、今はちょくちょく帰省するようにしている。父が癌に倒れた時にその考えは間違いだと気付いたからだ。親に出来る孝行は、顔を見せることくらいしか無いし、それでいいのだと気付いた。入院している父の病室に行き、日中は仕事をしている実家の家族の代わりに僕が日がな一日病室に詰めたりしていた。詰めたといっても特に何もすることは無く、ただ病室の一画で本を読んだりしていただけだ。でも、それで良かったんだと思う。1週間ほどの帰省の間、僕はわりとずっと病院にいたような記憶がある。
 それが1993年のことだった。翌年には父は他界した。孝行はできたんだろうか。でも最後の1年の間、弱くなっていく父の姿を見たりしながら、僕は父子のつながりを深められたような気がしている。孝行ができたかどうかは、もうどうでもいいような気もしているのだ。
 それから20年後の1993年に、僕が父親として息子の自立を見ていろいろ考えている。不思議な話だ。まあ自立といっても自分の足で立てるようになったというだけのことではあるけれども。

安藤美姫

 昨日の報道ステーションで安藤美姫が4月に出産していたことを明らかにした。たまたま見ていた僕も僕の奥さんも「へ〜」って感じで興味深く見た。彼女は今シーズンスケートに取り組んで来年開催のソチ五輪を目指すという。それで競技を引退するという。
 僕はそれを見て素晴らしいことだなと思った。いろいろあるだろう。今のところ結婚はしていないシングルマザーであることもそうだし、競技を甘く見るなという意見もあるに違いない。だが、そんなことはどうでもいいと思う。彼女が授かった子供を産む決意をし、産まれた子供を可愛いと思っているというだけで、いいじゃないか。なぜそれを批判する?批判する資格なんて一体誰にあるのだ?
 多くの人は社会の中で生きていて、その中で社会にとって在るべき人間であることを強いられる。あるべき人間であることを演じている。有名アスリートは特にそうだろう。好成績を期待される。本番でミスをしたらぼろくそに言われる。それは好成績によって手にする栄誉の大きさとの引き換えなのだからある意味仕方ない部分がある。毀誉褒貶は世の常で、賞賛は批判と裏表である。
 で、そのことは安藤美姫が一番良く知っているのではないだろうか。天才としてちやほやされて、トリノでの惨敗で批判に晒された。当時の僕も批判したと思う。何やってんだと。同じ大会で金メダルを獲得した荒川静香が賞賛される分、安藤美姫が批判された。それはある意味仕方のないことだ。彼女だって金メダルを目指したのだから。その賞賛を目指したのなら、結果がすべてだ。負ければ多くのものを失う。
 しかしその後葛藤はあっただろうに、浅田真央の台頭に苦しんだろうに、2011年のシーズンでは各大会で優勝。結果を出した。
 そんな彼女が、子供を授かった。そこでもいろいろ葛藤はあったのだろう。産めば確実に1シーズンを失うし、トップアスリートとしての体調にはもう戻ることができないかもしれない。でも結果として産むことを決意した。それはスケートを最優先して他のことをすべて犠牲にするという決断とは真逆のことであって、だから、スケート選手としての結果よりも母親になるということを選んだ彼女に、「子供を産んでアスリートやっていこうなんて甘い」などと批判をすることは的外れだと思うのだ。こんな例えが適切かどうかはわからないけれども、例えるならば末期がんであることが判った患者が、治療を続けるよりも余生を充実させることを選んだようなもので、その人に「治療を甘く見るな、がんを甘く見るな」と批判をするのは意味がない。そもそも選択の際の価値観が違うのだから。安藤美姫が出産を選択したのは彼女の価値観そのものであって、それによってアスリートとしての道が狭まったとしても、アスリートであることをとることで母親への道が狭まることよりはマシだという決断だったのだろう。それを責めることが一体誰に出来ようか。
 身の回りでは不妊治療をしている人が何人かいる。詳しいことはわからないものの、お金もかかるし何より苦痛を伴うのだそうだ。そこまでせずに授かった僕ら夫婦がどれだけ幸運なことなのかとつくづく思う。経済的肉体的な辛さを超えてまで、子供が欲しい人たちはたくさんいる。そしてその価値がある尊いことだと僕も思う。もちろん不妊治療がどのくらい有効なのかとか、医学的に倫理的にどうかという問題はあるだろう。だからといって子供が欲しいと思う気持ちを一体誰が批判出来るのだろうか。だとしたら、20代前半のアスリートが競技生命を犠牲にして出産を選んだこともまた、誰にも批判など出来ないはずである。
 とはいえ、安藤美姫は競技に復帰してソチ五輪を目指す以上は、頑張る必要があるのだろう。せいぜい頑張ってくださいとしか僕には言えないし、それ以上のことを言うつもりもないよ。安藤美姫の出産には喝采を送りたいが、そもそもアスリートとしての彼女には元々それほど期待していないのだから。いや、期待していたとしても今回の出産の選択には喝采を送るのだけれど。で、目指す以上は本気で取り組んでもらいたいし、同時に他の日本人選手たちには、出産して戻ってきたママさんスケーターに簡単に出場枠を譲らないで欲しいと思う。それはアンチ安藤美姫という意味ではなく、それぞれの選手にもプライドはあるだろうし、簡単に負けてしまっては自分がツライだろうという意味でだ。
 で、結果として誰が出たとしても、ソチ五輪は見るだろう。時間帯としては深夜の生中継になるだろうから、そんなに熱心には見ないだろう。朝方にTwitterのタイムラインで結果を知るのがいいところではないだろうか。おそらくほとんどの日本人がその程度だと思う。だとしたら余計に、1アスリートの、いや1女性の人生をかけた決断を批判などする資格はないのだ。

ブラック企業とアベノミクスとフロンティア

 今日の夕方帰宅する途中、鴨川の土手には涼みにきている人たちがたくさんいた。涼しかったな今日は。夕暮れに歩くのも大変心地よかった。
 京都は東京よりも日の入りが遅いとはいえ、こんなに明るいうちに帰宅するなんて以前はなかった。それは僕が赤ちゃんをお風呂に入れるためということでもあるけれど、じゃあここに涼みにきている人たちはみんな赤ちゃん育児中なのか?お父さんらしき人が息子らしき子供と一緒にベンチに座って語らっている。そういうの、東京ではほとんど見たことがなかった。住んでいたのが新宿区だったからか?それとも僕が遅くまで仕事してたから見なかったのか?よくわからないけれど、京都ではまだ明るい時間から多くの人が帰宅し、川沿いでくつろいでいたりする。夜中まで煌々と電気がついているオフィスビルなんてほとんど見かけない。
 これは僕が京都に移って以降の持論でもあるが、東京の人は高い家賃を稼ぐ必要があるから長く働くことになってしまっているのだと思う。会社で残業したい人が一定数いると、残業しなくてもいい人まで帰りにくくなってしまう。そうやって残業前提で社員が働く会社に負けないようにするには、他の会社も残業して総労働量を増やすハメになってくる。その点京都は家賃が安い。おそらく京都だけじゃなくて全国的に東京大阪以外は安いのだろうと思う。当然家を買う時の値段も東京に較べると京都は安い。それを払っていくために残業を重ねる必要はない。それでも残業して働きたいと思っても、会社全体に仕事があるわけではないだろうし、「お前1人で何やってんの」という雰囲気になれば、そうそう長時間労働をすることも難しい。そういう違いが、街全体の雰囲気の違いとしてあるように思う。
 最近ブラック企業の問題が話題になっている。ブラックで殺されるくらいなら辞めればいいと思うが、なかなかそうもいかないらしい。不思議だが。でも僕は思うのだ、ブラック企業に勤めている人はそこに勤めることが好きなのだと。いやかなりキツい言い方をしているのはよくわかっている。だが、結局はそこに勤めることを選んでいるのである。
 では何がブラックで、何がブラックではないのだろうか。そこの切り分けは非常に難しい。社会全体がブラックと非ブラックの区別を明確にしようとしているからだ。
 人が暮らすというのは一体どういうことなのだろうか。そりゃあいい暮らしがしたい。誰でもそうだろう。ではいい暮らしとは何なのか。ある基準があってその基準を満たせばいい暮らしなのではない。今日よりも明日、隣よりもウチが良ければいい暮らしということなのだ。昭和30年代前半の三種の神器はテレビと冷蔵庫と洗濯機だった。みんなそれがあれば幸せだった。だがそんなもの今は一人暮らしの学生のアパートにだってある。ではいい暮らしなのか?いや、違う。あの頃の家族が幸せを感じていた電気製品では今の日本人は幸せを感じることなどできない。そんなものは誰もが持っている当たり前のものでしかなくなったからだ。
 今よりも明日に価値をもたらすものは何か。それは2つである。ひとつは発明などのイノベーション。蒸気機関の発明が、電気の発明が人類に力を与えた。活版印刷が人類に文化をもたらした。そういう価値に人は憧れ、手に入れたいと思い、活力を生む。
 もうひとつはフロンティアだ。東部地域からスタートしたアメリカは、西部開拓によって土地を得た。土地は作物を生む。資源ももたらす。そして何より国民に土地を与える。今の日本人は家を買うために35年ローンを平気で組む。組んだ瞬間に銀行の奴隷だという意見もある。それでも人は家を持ちたがる。資産になるからだ。それが西に進むだけで、現地のインディアンを制圧するだけで手に入るのだから、それはみんな武器を持って西へ進む。だがやがて西海岸に到達する。フロンティアは無くなる。そうなると海外の未開の国を植民地にしていく。アフリカまで行って奴隷を連れてくる。現代人が掃除機を買うような感じで奴隷を欲したのだろうか。その感覚はまったくわからないが、現実に多くの人が奴隷としてアメリカに連れて行かれた。フロンティアがなかったヨーロッパ諸国も早くから海の向こうに植民地を求めた。
 フロンティアと言えば聞こえはいいが、要するにそれは他者から奪うということそのものだ。そこにいたインディアンから土地を奪う。植民地に住んでいた先住民から土地や資源を奪う。アフリカに暮らしていた人たちの人権を奪う。それによって当時の欧米は豊かになり、先進国になっていった。
 僕は、今の日本で起こっていることはそれと何ら変わらないと感じている。
 ブラック企業とは何か。それは他者から奪う企業である。その他者は顧客ではなく従業員である。ではなぜそのような奪いが起こるのか。社会全体にその要因はあると思っている。まず何より経営者の姿勢だ。企業が大きくなるためには何かを犠牲にしなければならない。手軽なのは従業員だ。従業員を酷使し、辞めるヤツは仕方ないとしても、辞めずに頑張る人は徹底的にこき使う。そのこき使いが企業に利益を生んでいく。
 経営者の次は利用者だ。経営努力の名のもとに行なわれる価格競争を当たり前として、そこまで格安でいいのかと思うような価格を当然と受入れる。利益はどこで出すのか。食材プラス調理の価格と代金の差額では難しい。だとすれば酷使される従業員のサービス残業分で利益を出すしか無くなってくるのだろう。どこまでも安くて当然の意識が、結局は従業員を酷使することにつながっていく。
 ブラック企業の従業員の残業ならまだマシだという説もある。他の業種では雇い止めだ。正社員と非正規雇用、さらにはバイトと、労働者の立場の違いはより明確になっている。正社員を守るための雇用調整といえばいいのだろうか。音楽や役者をやりたいからみずから正社員にはならないという人は、それは選んでいるのだからしょうがない。だが正社員になりたいのになれない人が増えている。なりたいのに、なれないのだ。全員を正社員待遇で雇用すると、現在正社員でいる人たちの安定や高収入が維持出来ない。だから正社員枠をしぼるのだ。その様はまるで芥川龍之介の蜘蛛の糸だ。皆が地獄から脱する糸に群がるが、全員が群がると糸は切れる。切れないようにするためには、ふるい落とさなければいけない。誰をだ?他人をだ。
 日曜日に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」の一シーンでもそれは描かれていた。薩長連合軍に攻められる会津藩は城下の武士の家族を城に呼び寄せる。八重の山本家は早めに城に入るが、剛力演じる日向ユキの家族は遅れたために城に入れてもらえない。家臣の家族だろ。なぜ入れない。それ以上入れる余裕がないからだ。家臣とその家族を守るのが殿様の努めではなかったのか?先に入った人を守るため、遅い人ははじき出される。自らの安定のために他者を犠牲にする。それは植民地化された先住民族の姿と何ら変わらない。守るという建前よりも現実の兵糧の方が優先される。
 今の日本で行なわれていることは、新しい形の身分制度の復活なんじゃないかと思っている。そしてその身分制度は経済の原則という建前の下に推進されていく。経済の中にいる以上、企業は生き残りを最大の目的として活動している。生き残らなければ、やられるのだ。だから出来るだけ費用部分を削り、アウトソーシングという名のもとにコスト削減に勤めている。コスト削減は、要するに椅子取りゲームだ。企業としては椅子を準備するのは最低限にしたい。なぜなら椅子を用意するのもコストだからだ。それを削らなければ利益が上がらず、株主に突き上げられ、仕舞いには乗っとられる。だから内部留保を厚くしていざという時に備え、労働力にかける経費を最小限にしようとする。当然椅子取りゲームからこぼれる人が出てくる。じゃあその人に死ねというのか。それは無理だし、一定の労働力は不可欠なのだ。だから非正規という肩書きで同じ仕事をしろと。同じ仕事だけれど給料は少ないぞと。将来の保証も何もないぞと。それが当たり前になった2013年、さらに正社員を普通の正社員と限定正社員の2つに分けるという話が出てくる。正社員としての椅子取りゲームに勝ち残ってもまだ安心ではないのだ。このままでは蜘蛛の糸は切れる。そう脅かされ、さらに過酷な椅子取りゲームが始められる。
 身分制度が明確な賃金格差を生んだとき、それは単なる身分制度ではなく、下位身分からの奪いを意味するようになる。昔だったら同じように社員として終身雇用が約束されてマイホームを持てたような人が、非正規となりマイホームなど不可能になる。それは新たな奪いだ。上位身分の人が下位身分の人たちが当然受けていたであろう収入を新たなフロンティアとして狙い始めたことに他ならない。その舞台装置は何か。国際経済であり、株主至上主義であり、ゆとり教育である。高度な教育を国の費用ですべての国民に施すというのは、誰にも等しく知識を得るチャンスを与えるということであり、従って身分の固定化を流動的にするものだ。だから公教育をゆとりにし、裕福な家庭の子息のみが高度な教育を受けられる環境を実現する。学ばない者は非正規になる。教育を施された裕福な家庭の子息は正規になり、さらには経営側に回るチャンスを得る。一部の例外は当然ある。だが、経済が絡んだとき、この傾向は明確に結果となって現れている。
 だから今の日本にブラック企業が生まれるのは当然なのだと思う。生まれるべくして生まれたのであって、単にその経営者個人を責める問題に矮小化しても始まらない。そしてそこに勤める従業員も、ある意味そこを選ばざるを得ないという状況に置かれ、そして選ぶ。自由に選んでそこにいるのだから、頑張れよお前らと言われてしまう。だがそれは、徴兵で集められた新人兵士に鬼軍曹が竹刀でどつき回すことと、実はそんなに変わらない。そういう社会を、今の時代は当然生むように出来ているのだ。
 今日のニュースでも日銀短観が上向いたと報じられていた。高給時計が売れていると。儲かっている人は確実に存在する。しかし町工場の経営者やショッピングアーケードの主婦たちはアベノミクスの影響など無いという。当然だ。この政策はまさに新たな身分制度をさらに加速するものなのであって、底辺にいる人たちが潤うなどと期待していたら泣きを見るだけだ。僕の知人で、金融関係の仕事をしている人や大企業に勤めている人に限ってこのアベノミクスを礼賛する。奪う側に立っているからだと思う。気付いているかいないかはともかく、アベノミクスによって奪える機会を得る人は、これを礼賛するだろう。そして今が稼ぎ時だと躍起になっている。それはまさにフロンティアに進んでいく開拓者の姿だ。
 で、その方向に幸せはあるのだろうか。東京に住む人たちが高い家賃を払うために懸命に働いているという話を冒頭で述べた。それは幸せなのだろうか。僕は京都に移ってきて、個人的な想いでしかないけれども、なんかそれは違うように感じている。高い土地に高い家賃。それはみんながそこに集まっているからそうなってしまうのである。それでも人はそこに集まる。斯く言う僕も2年半前まではそこに暮らしていた。今の倍の家賃を払い続けてきた。もし多くの人がその土地を離れたら、高い家賃を払う必要も無くなっていく。離れた人が遠くの土地で安い家賃で暮らせるということだけではなく、人が少なくなれば当然東京に暮らすための固定費用も下がってくる。今は過剰に集中することでそれが高くなっているだけのこと。
 高い家賃を払う必要が無くなれば、今のように深夜までオフィスビルが煌々と灯をともす必要はなくなるだろう。そうすると居酒屋が深夜まで営業する必要も無くなって、ブラックと言われている職場も当然減ってくる。人々は理由あって東京に集中している。つまり東京に暮らすということがある意味ブラックな生活でもあるのだ。だがみんなそこを去らない。快適と思って暮らし続ける。人はブラックなものに引き寄せられるのか。それとも引き寄せておくことでブラックな働きをする人を生み出せるから社会がそうなっているのか。それも明確に答えることは出来ない。だが、まだ日の暮れていない鴨川に集っている家族の姿を見ていると、ここにはひとつの幸せの形があるように思えてならない。
 アベノミクスが盛上がっている。株価が13000円を割っても、そのことは殊更大きくは取り上げられず、今も神話のように日銀短観のいいニュースがトップで報じられる。それは、ニュースなのか。煽動ではないのか。僕はそのことが気になってならない。それが煽動なのだとしたら、一体どこに向かわせられようとしているのだろうか。大手メディアこそ、ハーメルンの笛吹きの笛なのではないのだろうか。だとしたらこの場合の笛吹きとは何なのか。そしてハーメルンの笛吹きたちが向かった先の洞窟(または沼)とは一体どこなのだろうか。時代が一方向性である以上、そこから戻れなくなることだけは確かだと、僕は思っている。

レーベルの立ち位置

 インディーズレーベルを23年半もやってきて、今思うのは自分たちの立ち位置だ。立ち位置とは、どうあるべきかということと、あるべきなのかということと、2つの意味を持っている。
 僕が社会人になったのが平成元年。ビクター音楽産業という会社になぜか滑り込んだ。バブル絶頂のその頃に、僕は就職しようという気持ちがまったくなかったのに、なぜだか会社員になることになった。それでも知らず知らずに銀行員やシステムエンジニアになった友人よりはまだマシだななんて思っていた。ビクターはいうまでもなくメジャーレーベルだ。というより、当時はまだメジャーレーベルという概念がほとんど無かった。なぜならインディーズレーベルという存在がほとんど無かったからだ。音楽を公表するにはCDを出さなければならない。それにはレコード会社に属さなければならない。そのレコード会社というのは、今でいうメジャーレーベルのことだ。僕はそんなレーベルのひとつに就職した。これは貴重な経験だったと思う。レコード会社というのは制作と宣伝で成り立っている。と思っていた。素人はそう思う。だが何より重要なのは営業だ。営業のさじ加減ひとつで店頭での展開は変わる。各社が押しものをこれでもかと売り込むので、ショップは全部入れていたらたちまち過剰在庫になってしまう。だから出来るだけ仕入れは少なくしたい。それに応じていたら自社商品は目立たなくなる。その結果、営業マンが強いエリアで売れるものが、営業マンが弱いエリアでは存在さえしないようになってしまう。また同じレコード会社の中でも、営業担当が「どれを売りたい」と考えるかで、店頭の扱いは違ってくる。そしてリスナーが店頭で目にする商品になるかどうかが、音楽が売れるかどうかのほとんどすべてだといっても過言ではない時代だった。
 ビクター生活を経て、独立してインディーズでやっていこうとする。当時はプレスにも印刷にも莫大なお金がかかった。レコーディング費用は別にしても、ちょっと仕様を豪華にすればすぐに100万超えだ。それをペイするのに3000円のCDを一体何枚売ればいいのか。3000円すべてが入る訳ではない。お店の取り分、配送費、営業管理費などなどを考えれば500枚くらい売れてくれないと話にならない。その時点でレーベルにもアーチストにも1円だって入らないのである。
 そういう状況から、どうすればアーチストにもレーベルにも利益が出るようになるのかを考え、制作のコストなども出すようにするために業者もいろいろと変えた。とにかく安くできるようにしなければ売れても赤字。それでは困るのだ。だからいろいろ変えていく。変わっていく。変わらず残るために変わっていく。23年の軌跡はその連続だったといえる。それがアーチストを戸惑わせたこともあるだろう。だが、結果的にバンドも解散して歴史上の存在になってもなお音源がCDで売られているという状況を維持出来ているということは、それなりの意義はあったのだと自負している。
 さて、音楽の世界はどんどんと変わっていって、今では配信だ。キラキラレコードでは配信に対してさほど力を入れていない。何故か。儲からないからだ。儲かるのか儲からないのかだけが基準ではないけれども、今の状態で配信に移ったとしても、裾野にいるアーチストは力を削がれるだけだ。どういうことかというと、有料にすることでダウンロード数は激減するし、単価の安い配信にシフトすることで、売れても制作費ほどの稼ぎは得にくくなるということである。150円でダウンロードされて、自分に入ってくるのが75円だとすると、1000ダウンロードされて7万5千円。万単位でダウンロードされるなら利益の可能性もあるが、1000ダウンロード程度では収益を考えることは難しい。しかもCDを売るのであればライブで直接「買ってよ」と迫ることができるが、ダウンロードだと「後でダウンロードしとくよ」で終わりだ。本当にその人が買ってくれたかなどまったくわからない。
 これはアーチストがライブ会場で売っているデモCD-Rとよく似ている。彼らはデモを3曲100円くらいで販売している。それは何を目的にやっているのだろうか。(メルマガに続く)
ミミミミミミミミミミ
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