カテゴリー別アーカイブ: 日記

忘却

DVDを作っている。息子の成長記録ビデオDVDだ。
 日々、息子の写真を撮っている。iPhoneで撮っている。時には動画で残したかったりするので、やはりiPhoneでビデオを撮る。いやあiPhoneは便利だ。フルハイビジョンの映像が撮れるのだ。昔は640×480の映像だって処理するためにハードディスク数台を使ってRAIDを組んだものだ。それが今ではあんな小さな機械でフルハイビジョンなのだから恐れいる。いつだって持っているから、いつだって撮れる。単体のカメラやビデオを常時スタンバイさせておくのは無理だけど、iPhoneならいつも手近にある。記録には最適なデバイスだ。
 で、今作っているDVDは昨年9月から11月のもの。半年前の映像なのだが、息子が今とはまったく違う。はいはいなど出来ず、寝返りも怪しい時期で、今と比べたら足も細い。その筋肉量では身体も思うように動かんだろうと今はわかるが、当時は頑張れ頑張れと思っていた。努力とか気合じゃないよね、筋肉の発育だよ。出来ない無理というものがあるよ。
 驚くのは、息子がそんな感じだったということを忘れているということだ。奥さんが僕の母に「(僕の)赤ちゃんの頃はどんなでしたか」と聞いた時に母は「あんまり覚えてないとよ」と答えていた。それはもうすぐ80を迎える人の記憶力の為せる技なのかと思っていたが、そうではなかった。人はあっさりと忘れるものなのだ。毎日見てても忘れてしまう。それが良いところでもあるんだという気はするけれど。
 でも、覚えていたいじゃないか。だから、手軽に記録出来るiPhoneのようなデバイスは有用だと、改めて思った。まあ本人にとっては、自分の幼少期の写真や動画がこんなに残ってしまうことが果たして幸せなのかどうなのか、今の僕にはよくわからないのだけれども。
 そんな息子は昨日が生後300日目だった。赤ちゃんの成長はめざましい。大人は毎日一生懸命とはいえ、あんなに成長してはいないと改めて思うよまったく。

もてなし

 今年は京都の桜が綺麗だった。桜の名所はたくさんあって、名所じゃないところの桜もかなり美しい。京都にはいったい何本の桜が植えられているのだろうか?
 そんな京都の桜を見て歩く僕だが、京都に移り住んでまだ2年。桜のシーズンは2回目なのだ。観光で京都の桜はけっこうハードルが高い。休日に限れば年に4日ほどしかチャンスはない。そしてそこをめがけて日本中からやってくる。宿が取れないし、取れてもバカ高い。というわけで、そんなに京都の桜を知り尽くしているわけではない。でも人は僕に桜観光について聞いてくる。住んでるのだから詳しいだろうと。いや、そうじゃないのだ。詳しくなんてないのですよ。でもそうは言いたくないし、ちょっと背伸びして知ったかぶりをする。良いところを案内したいと思って苦労する。
 今年はまず福岡の母が来た。孫に会いに来たのだが、観光もしようと。例年になく桜が早かったので桜も見られるかなと。まあそれは僕が勝手に思ったのだが、それでギリギリまで観光コースが定まらなかった。
 結局、京都御苑北側の枝垂れ桜と、醍醐寺霊宝館の枝垂れ桜を見に行った。ともに見事。こんなに枝垂れ桜が素晴らしいのならと、龍安寺の壁にかかる枝垂れ桜もイイかなと思って勇んで行ってみたところ、まったく咲いていなかった。自然は難しいよ。
 それから二週間ほどして、僕が京都の桜をFacebookに載せていたら、高校時代の友人が京都の桜を弾丸で見に来たいと。スケジュール的に会うことにはならなかったが、僕なりのオススメをいくつか教えた。するとその人のウォールには「感動、ずっとこの景色を眺めていたい」と。その場所はザ観光名所的な誰もが知っている場所で、僕には今さらな感もあるのだが、友人のその言葉を見て、ああ、そんなに気張って穴場をなんて考えなくともいいのかなあと思わされた。
 どんな珍しい場所でも、何度も行けば珍しくなくなる。そうして価値を忘れがちになるのだけれど、初めて行く人にはやはり珍しい場所なのだ。奇を衒わずに、自分が初めて行った時のワクワク感を忘れないようにして考えることこそ、すべてのおもてなしの基本なのかもしれない。
 そういえば遡ること約一ヶ月、思いも寄らず外国人の方を京都案内することがあった。清水寺に連れて行くと、参道の賑わいの段階ですでに「マーベラス!」を連発。花見小路を抜ける時に瓦屋根に飾ってある鍾馗様をリトルゴッドだと教えてあげると、「リトルニンジャじゃないのか??」と大はしゃぎ。楽しめてもらえて良かったよ。珍しいものが良いのではなくて、楽しいことが何よりなんだと、その時も思ったんだった。

暴風雨サンダーロード

荒れ狂う風雨の中、桜の京都を離れ一路三重へ。車は新名神をひた走ったのだった。9日10日と名古屋で仕事のため、奥さん実家の松阪にやってきた。途中サービスエリアでトイレに立ち寄った奥さんはビニール傘を破壊されて戻ってきた。
先々月の終わりにも松阪には来た。その時息子は50日ぶりくらいに会ったおじいちゃんおばあちゃんに抱っこされていきなりギャン泣き。人見知りが始まったんだなと思ったが、今回はほとんど泣かなかった。人見知りの段階をもう過ぎたのか?それともおじいちゃんおばあちゃんのことを明確に記憶したということなのだろうか?まあいずれにせよ成長の証。親も子も祖父祖母もみんな笑顔でハッピーだ。これ以上のことがあるだろうか。
この雨は土曜の夜から日曜にかけてピークを迎えるとのことだったが、すでに上がり星さえ見えている。注意報も解除されたそうだ。明日の日曜はどうしようかなあ。孫のおもりをしたくてたまらない義母に息子を任せて、奥さんとお茶でもしに行こうかなあ。
外出はアウトだと覚悟していた天気予報が外れ、なにかフリーの時間が転がり込んできたような得した気分。やらなきゃいけない仕事もあるけど、こういう時間を大切にしたい。

やらなきゃな

 やらなきゃな。そう思う。
 なにをって、まあいろいろだけど、まだまだ足りないって思う。今日あるバンドが会社にやってきて、この1年ほどの活動報告とぶつかっている壁などの相談をされた。それを聞いていて、僕なりの意見を言わせてもらった。多くのバンドと仕事をしてきている経験から、ほとんどのバンドマンがぶつかっている悩みというのはだいたいわかる。カテゴリー別に分類もされている。その引き出しだけでカウンセリングはほとんどの場合事足りる。経験って大切だ。今日のバンドにも、そういう話をすることができた。約2時間半のミーティング。
 で、目からウロコが落ちたのか、それとも本当は落ちてないのかはわからないけれども、今年一杯の活動方針は大まかに決まったと思う。そんな感じの表情で彼は帰って行った。よかったよかった。これで彼らが少しでも売れて行ってくれれば、それで僕は幸せだ。
 でも、ふと思うのだ。僕は他人にそんなにエラそうに何かを言えるだけの成果を挙げているのかと。いや、全然出来ていない。まだまだ全然だ。レーベルを23年やって来ているという、それだけじゃないか。何かの進歩があったのか?人様に自慢出来る何かがやれたのか。いや、やれていない。もちろん人様に自慢することが目的じゃないし、自慢なんてしなくていいんだけれども、でも自分自身に対して誇れる自分と業績でなければならないんじゃないか。そう思う。切実にそう思う。昨年初めて自分に子供が出来て、カワイイし、遊んでいるといつまでもこうしていたいと思う。しかし、いつまでもそんなわけにはいかないだろう。今はただ近くにいて毎日遊んでくれるお父さんでいいかもしれないが、子供も徐々に外に出ていく。そこでいろいろなことをやりたいと思うだろう。それをさせてあげられるのかオレは。今のままでは出来ることは限られるよ。だからもっと頑張らないといけないと思う。
 音楽業界自体は曲がり角にさしかかっていると言われている。その曲がり角の先にあるものは何なのか、それはまったくわからない。だが、手をこまねいていては何にも始まらない。どんなに最悪の事態になったところで、音楽がまったく無くならないのだとしたら、そこで成功する者はいるということだ。自分がそうなれるのか、それとも負けておしまいなのか。そんなことも考えたりする。
 バンドに対して「成功に向けて頑張れ」という。だが、音楽で食っていけるのはすべてのミュージシャンの中でもごく一握りでしかない。それを目指して「頑張れ」というのだオレは。じゃあ自分が頑張らないでどうする?そう思うのだ。
 まあ音楽に勝ち負けは要らないよという声もあるだろう。だが、負けたら続けてもいけないのだ。バンドは続けられないと解散だし、そしたら応援してきてくれたファンは悲しむことになる。今応援してくれる人を悲しませない為に頑張るということであれば、別に勝ち負けと関係ないことだし、そして続けていく為には、やはり勝たなければいけないと、そういう副次的な意味での勝ちに向けた頑張り、それでいいじゃないか。ましては僕はレーベル運営なのだ。負けたらそこのアーチストが困る(困らない者もいるだろうけど)。だからやっぱり頑張らないといけないのだ、と思う。
 とりあえずは、今やろうとしていることを早めに実質スタート出来るように頑張りたい。そしてその前に、ブログを毎日書けるようには最低でもしていきたい。なんかしょっちゅういってることだから「もう期待してないよ」とか言われそうだけれど。頑張るよとりあえず。

EPLP

 おっと、気がついたらもう前回のブログ更新から1ヶ月が経とうとしているよ。最近はついついTwitterにfacebookでいろいろ言っちゃってるからなかなかブログの更新が出来ないね。写真アップするのも簡単だしなあ。その点ブログはなんとなく面倒だ。ついつい長く書いちゃうし。バンドマンのデモにたっぷり感想を書いたりしているし、こっそりmixi日記も続けているから、そんなに書いてばかりはいられないよ。と、言い訳。早速書きましょう。ブログブログと。
 今日の午前の仕事を終え、昼飯を食った後にRCサクセションのCDを聴いている。なぜかというと友人の命日2日前だからだ。そいつはRCが大好きだった。僕の世代だとRCが好きなヤツは多いんだけれども、ヤツはその中でもRCのことが大好きだったな。一緒に清志郎のソロライブにも行った。いい思い出だ。こんな年齢で故人との思い出にひたってるなんてどうかとは思うけれども。
 で、そんな思い出にひたるなら命日にすればいいじゃないかと言われそうだけれど、残念なことにその日は日曜日なんだな。9ヶ月の赤ちゃんがいる家庭でRCを爆音で聴くなんてことはなかなか出来ない。いや、したくないんだ。せっかくの日曜日は家族と過ごす。楽しく過ごす。死んだ友人より生きてる家族。当然だよ。当然だ。だから、金曜日の今日、会社で午後のひと時にRCを爆音で流す。悼むつもりでRCを聴く。普通のファンなら5月2日の清志郎の命日にそれをやるのだろう。でも、僕は3月17日近辺にそれをやる。墓参りにいくよりもずっとヤツも喜ぶだろう。ヤツって、清志郎じゃないよ、僕の友人。元友人のアイツだ。
 そいつのことをここで説明しても意味が無いのでやらないけれど、そいつは変わったいいヤツだったよ。いつまでもそいつの死を悲しんだりはしないけど、やっぱりちょくちょく思い出すよ。早く死ぬと、同級生にとっては他に死んだヤツがあんまりいないから、思い出してもらえる頻度が高くてイイね。90歳くらいで死んだら、同級生のほとんどはもう死んでるだろうから、誰にも悼んでもらえない。それどころかあの世で同級生の後輩になってしまう。使いっ走りにされるんだろうか。駅前のコーラ買ってこいとか。それはイヤだから、まあ時々こうして思い出しては悼んでみたりしようと思う。ふざけんなお前、先に死にやがってって感じで。
 RCの今日聴くアルバムは、『EPLP』『Marvy』『OK』の3枚。『EPLP』はRCが売れ始めた頃のシングルをまとめたベストのようなアルバム。トランジスタラジオはやっぱり名曲だね。「君が僕を知ってる」も最高だ。『Marvy』はcoversの前に出された2枚組アルバム。でもCDでは1枚で16曲収録。coversの話題性の前に地味な印象だけれど、僕は1番好きかもしれないアルバム。「俺は電気」って曲が好きだね。『OK』はさらにその5年前に出されたアルバム。「お墓」とか「指輪をはめたい」とか「ドカドカうるさいR&Rバンド」とか名曲揃い。
 ヤツの命日とか関係なく、RCはいいよ。でももう清志郎も死んじゃったし、RCを語れるヤツも死んじゃったし。一人で聴くのってなんかつまらないもんだね。だからiPodなんかでばかり聴くのは音楽じゃないって気がするよ。青春時代は友達と一緒にレコード聴けって思う。まあCDでもiPodでもいいけどさ、スピーカーからガツンと音出して聴けって。もちろん48歳のこの俺もまだまだ青春真っ盛りだよ。
 最後にアマゾンのリンクを貼ってみた。アフィリエイトとやらになってるので、うっかりクリックして買っちゃうと僕に小銭が入る仕組みだ。ウザイよね、あざといよね。でもamazonに儲けさせるよりは僕が小銭を稼いだ方がまだマシじゃないか。というわけで、好きにしてください。


Tくんのこと

 Tくんは、高校時代の友人だ。
 正確に言うと、高校時代の友人ではない。同じ高校に3年間通っていたというだけで、そのころにはほとんど面識がなかった。言葉を交わしたことが1度くらいあるだろうか、その程度の関係である。
 そのTくんと僕は昨年秋頃にfacebookでフレンドになった。facebookでは高校の友人とすぐにつながる。芋づる式に。当時から仲のよかった友人も、同じ高校に通っていただけでほぼ他人の同級生も。だが、申請されれば拒否するのもどうかと思う。だって、同級生だよ。同窓生だ。それだけでもフレンドの資格は十分じゃないか。申請されればOKする。で、時々紹介というのもある。それは僕に「こいつは同級生だからフレンドになってつながれよ」ということを示唆する行為だ。でもそれをフレンド申請と勘違いしてクリックすると、僕がフレンド申請をしたことになってしまう。オイオイと思ってももう取り返しがつかない。そいつからは「ああ、大島がおれに申請してきたんだな」という感じに映る。晴れてフレンドが1人増えるわけだが、気分は晴れないね。
 Tくんとはそうではなかった。高校時代に本当に仲のよかった友人がfacebookデビューし、僕のことを発見してフレンドになった。その彼と実際にあった時、彼は「やはり直接会わなきゃだめだ。Tとも今度会うことにしたんだよ」と言っていた。僕はTくんとはそんなに旧知の仲ではなかったけれど、「ああ、そう」などと相づちをうった。すると数週間後に「○○から大島くんと会ったと聞いたのでフレンド申請させてください」とリクエストがきた。なんか不思議な縁だなと思った。もちろん申請に応えた。その後は僕の投稿にも頻繁に「イイね」を押してくれるし、コメントもくれる。僕もTくんの投稿に積極的に絡んでいる。高校の時にはまったく付き合いがなかったけれど、今はすっかり友達気分だ。
 facebookでフレンドになっている多くの高校同級生とは、フレンドになったきり何の交流もない人も多い。それは、かつて高校時代に同じ場所に通っていたというだけの共通項があるだけで、フレンドと呼べるのだろうか甚だ疑問である。Tくんは、同級生であったけれども基本的には他人に等しい存在で、でも共通の友人がいるということで、今回直接の友人になった。正月に東京に行った際にも、共通の友人とTと僕と3人でメシを食った。普段からfacebook上で会話を交わしているからか、久しぶりに会うという気がまったくしなかった。
 僕はfacebookでもTwitterでも、まったく面識のない人と積極的にフレンドやフォロワーになる。実際に知っている人以外とは絡みたくないという人も多いようだが、僕はその考え方がよくわからない。だって、どんな友人も最初は他人なのだ。そういう人と何かのきっかけで知り合って、それほど深い付き合いにならないケースもあれば、一生の腐れ縁になることもある。学校でひとつのクラスに入れられるというのもそれと同じだろう。まったくの他人が、同じ地区に住んでいる同年齢というだけで1年間同じ教室に行くことになっただけのこと。それでも一生付き合っていく友人との出会いには十分なシチュエーションである。それがSNSで偶然に知り合ったということであっても、一生の付き合いに発展することはある。SNSで見知らぬ人とは絡まないと決めるというのは、そんな人たちとの一生の付き合いを自ら放棄するようなものだと思う。
 僕は、facebookで高校の友人とどんどんフレンドになっていくことが今でも嫌いだ。なぜなら、それは単に同級生だったということの確認に過ぎないことが多いからだ。付き合いが現在進行形で深まっていかないのであれば、それは過去の同級生というだけで、友人とはもはや言えまい。フレンドリクエストというのは、フレンドになろう、フレンドであり続けようということの意思表示なのではないだろうか。まったく新しい見知らぬ人との出会いは、学校で同じクラスになるのと同じようなもので、だからそこから急速に仲良くなる場合もあれば、結局疎遠なままでフェイドアウトする場合もある。フェイドアウトの可能性があるからといって、親友になる可能性がゼロというわけではない。だとすれば、親友になる可能性を僕は選びたいし、だから積極的に見知らぬ人とも絡んでいきたいと思う。しかし、高校の同級生という苔の生えたような関係性だけで、30年近く疎遠だった関係がここから復旧するだろうか。それはなかなか難しい。もちろんそれを完全に否定するつもりもないし、閉鎖的なヤツとも思われたくないのでリクエストされれば応じるが、だが3年間同じ所に通い詰めて、それで進展しなかった関係がネット上のやり取りで急に進展するような気はほとんどしないし、実際にほとんどのケースで、関係性はまったく進展していない。
 僕は、Tくんとの出会いは高校の同級生だったからというものでは無いと感じている。それは共通の友人○○から紹介された新たな友人という位置づけだ。たまたま同じ高校を同じ時に卒業していたというだけの他人同士が、○○を通じて引き合わされた。そう考えるととても面白い出会いだったし、これからどんどん仲良くなっていけそうな気がしている。そういう出会いをすることができたというのも、facebookの効能のひとつなんだろうと思う。

上向き

 何となくだが、最近はちょっといろいろなことが上向きな感じになってきた。
 具体的に何がといわれてもここでホイホイ言うわけにはいかない。仕事のことやプライベートのことなど多岐に渡ることがらなので安易に言えないということでもあるし、それに言うことで上向きが止まる可能性もあるし。
 その中のいくつかのことは、人との出会いだ。新しい出会いもあったし、久しぶりの再会もあった。やはり人と出会うと話をするし、話をすれば新しい展開も始まる。新しい展開が始まれば、それが仕事になっていく。一昨年に京都に引っ越し、知り合いもほとんどいない、家族だけの暮らしが始まった。ほどなく子宝に恵まれ、昨年6月に長男が誕生。子供中心の暮らしはどうしても内向きになる。いや、子供のせいにしているわけではない。自分がそうしてきたのだ。子供と過ごしたいから帰宅も早まるし、家族3人の日々が楽しく過ぎていった。
 だが、対外的な動きはほとんどなかったと言っていい。それではなかなか仕事も広がらない。ちょっといかんなと、頭のどこかで考えていた。それでも動きは後手後手に回っていた。
 で、今年に入ってこのままではいかんと思い始めた。子供との楽しい時間も仕事が充実して始めて成り立つことである。そう思っていろいろと動いてみた。それが結果的に良かったんだと思う。
 数組のアーチストと出会うことができた。それは財産だ。そのアーチストの仕事を進めるため、別のアーチストにも一緒に仕事をしてもらうことになった。これも財産だ。昔キラキラでCDを出していたミュージシャンと再会して、これまでやったことのない仕事をする可能性が出てきた。やっぱり財産だ。20数年ぶりに昨年再会した友人と一緒に新しい仕事をする可能性も出てきた。もちろん財産だ。仕事ではないけれど、高校時代の友人とFBでやり取りするようになり、約半年で3回も会うことになった。こういうのも人生の財産だ。
 他にもたくさんある。それを全部言うつもりはないけれど、どれも自分にとってプラスのことだ。人と出会うというのはそれだけで素晴らしい。
 新しい人と知り合うきっかけはなんでもいいんだろうと思う。子供の頃なら同じ学校で同じクラスになるというのが最大のきっかけだ。しかし大人になったら人と知り合うために学校に通い直すというわけにもいかない。でも新しい人との出会いを諦める必要はないと思う。その方法はたくさんある。何も学校で同じクラスにならなくても、人とは知り合えるのだ。
 そんなこんなで、今年は人と出会う1年にしていきたい。もう2月も後半に差し掛かろうとしているタイミングだけれど、そんなふうに今は思っている。

フレンド

 友あり遠方より来る。
 一昨日は、高校時代の友人がやって来て、2人で大原の三千院に行った。
京都大原三千院、恋に疲れた女が一人~
ではなくて、仕事に疲れたオッサンが2人~である。楽しかったなあ。
 彼は東京時代のキラキラレコードから徒歩数分のところに住んでいる。それなのに東京時代には20年くらい会わなかった。なんか、きっかけがなかったのだろう。いつでも会えるは、また今度でいいやと同義語である。
 それに較べて、東京から京都は遠い。せっかく関西まで来たのだからついでに会いに行くかとなるのかもしれない。それはそうだ。東京在住の人が「高田馬場にきたからついでに会いに行くか」なんて言ってたら年間何回会いに来ることになるのか。だからみんな来ない。結局年に一度さえも来ない。
 その点、繰り返しになるが京都は遠い。だから別件で来たらついでに会いに行くかとなる。しかも京都には別件となる理由が多い。観光でも仕事でも来る理由に溢れている。どちらがついでなのかは判らないが、いずれであっても、訪ねてくれるのは嬉しいことだ。
 最近はSNSが流行りで、それは人間関係をバーチャルにするとか、だから健全ではないとか、言う人も多い。そういう面もあるだろう。だが、一方で人間関係を密にする効果もあるんだろうと思う。実際に昨日来た友人も、Facebookでこの半年ほどやり取りを続けるようになったのが急速に旧交を温めるきっかけだった。SNSでやり取りをすることで、実際に会う機会が生まれる。もちろんそこまでに至らない関係もたくさんある。しかし、僕の場合は確実にSNSが実際の交流に繋がっていると思えるのだ。
 SNSは単なるきっかけにすぎない。それはリアルの出会いでも同じこと。学校で同じように40人のクラスに放り込まれても、大半の同級生と友達になる人もいれば、無口で誰とも親しくならない人もいる。SNSもそうだ。積極的に発言し、他人の発言にも絡んでいけば知り合いも増えるし、なんの発言もしなければ孤独なままだ。僕は、積極的に発言するぞ。だってその方が楽しいもの。
 何の話だったっけ、ああそうだ、友人が遊びにやってきたということだった。
 こんなブログを読んでいただいている人は、面識のない方が大半だろうけれども、中には面識があって読んでくれている知己もいるだろう。mixiみたいに足跡はつかないし、facebookのイイねやTwitterのお気に入りなんて機能もないし、そもそも読んでることを覚られたくないという人もいるだろう。そういう人は、別に読んでるなんて宣言していただく必要もないけど、まあたまには重い腰を上げて京都にふらりと訪ねてきてもらえればと思う。そして「近くまで来たから」とか「どこかステキなカフェはないかな」とか言ってきてもらえればと思う。そしたら2年足らずの経験からなんとか絞り出してステキなカフェを紹介するだろう。そして万難を排してカフェにお供するだろう。抹茶を飲めるお寺にだって案内するぞ。抹茶のたて方を教えてくれるカフェだって、お喋りするのが憚られるような読書カフェだって案内しちゃうぞ。
 まあそれはともかく、友が訪ねてくるというのはとてもいいものだ(もちろん面識のない方が訪ねてくれるのもいいものだ。そこから親友にだってなれるもの)。京都に来て、わざわざ訪ねてくれるヤツがいるのはとても嬉しい。そいつは本当に友達だなって思えるもの。いや、まだ訪ねてきていない人が友達じゃないって言ってるわけではないのだけれど。

家族の在り方

 近くの大学がやっているトットクラブというのに家族で参加した。子育て家族が集まって、子供との楽しみ方を学ぶみたいな、そんな会だ。子供とどんな遊びをするのかを参加家族が紹介したりした。他の家では僕がまったく知らない歌遊びなどをしているんだと知って、とても参考になった。うちは「高い高い」などをやっていると言ったが、謎のテキトー歌を即興で作って歌ってあげているなんてことは口が裂けても言えなかったよ。
 その会の帰りに、奥さんが「お母さんは行くところが限られているから、こういう会に積極的に参加するの」と言った。なるほど、そうなのか。平日は外に仕事に行っている身からすると、それもまったく知らない母親の心理だなあと参考になった。比較的子育てに参加しているつもりではいるが、父親の思っていることと、母親の思っていることは、やはり大きな差があるんだ。
 Twitterなどでいろいろな人の話を目にする。母親をやっている人のつぶやきもよく目にする。旦那への愚痴とか、子供への不満とか、ママ友やPTAのこととか、いろいろだ。先日も旦那が家事へどう関わるのかについて不満というか、愚痴というか、諦めのようなつぶやきを見た。じゃあなんでそんな人と結婚したのだろう、今も一緒に暮らしているんだろうと、その時は思うが、では夫婦が完全に一致して日々が過ごされているのかというと、そうでもないだろう。いや、ほぼすべての場合で一致などしないのだろう。だって人間はどんなに判りあったとしても結局は他人だ。いや、他人ではないな。家族であっても別人格というのが正しいだろう。父親と母親で行動パターンが違うのは当然だし、日々の行動が違えばインプットされる情報も違う。違う情報が入っていて考えが完全に一致するなんてことは有り得ない。少なくとも僕はそう思う。
 そう考えていた今日の夕方、僕は家事の手伝いをしていた。ウチでは家事の特定の仕事は僕の役目だ。役目というと重荷のようなイメージがつくだろうが、そうではない。その作業は僕の方が得意だから、僕がやっているというだけのこと。もしかしたら僕の方が得意なんだからと思い込んでいるだけで、思い込まされているだけで、だから結局は僕がうまく操縦されているのかもしれないが、まあそうだったとして何だと言うのだ。僕はそれなりに「僕がやらなきゃ」という使命感を持って、今日も淡々とその家事作業を、割と嬉々としてこなしているのである。
 思えば、結婚してからその作業を僕がやるようになるまでにもいろんな変遷はあった。具体的にどうだったのかはもう忘れたが、まったく別の生活をしていた2人が一緒に暮らすようになって、それなりにお互いが役割分担をして、それなりに個人の領域を確保し、それでも楽しい生活を模索して、今がある。今が完成形では無いと思うし、それは7ヶ月前の長男の誕生を機に、僕ら家族の生活もいろいろと変化を余儀なくされているわけで、だからこれからももっともっと変わっていくだろう。その変化は自ら変わっていくというのとはちょっと違って、子供の成長が家庭を変えていくという、ある意味変化させられているということではある。が、今のところそういう変化が僕らの生活に否応無しに訪れることを、僕は素直に楽しんでいる。結婚生活の過程で起こってきた変化も、僕は楽しんできたつもりだ。楽しめる範囲での変化というのが、夫婦の相性というものなのかもしれない。あまりに違う2人の生活に起こる変化はものすごいものになるだろうし、それが本当にものすごかったら、耐えていけないものなのだろうから。
 少し遡って今年の正月、大学時代の同級生が遊びに来て、6ヶ月半の長男を抱っこしてもらった。それから10日後の同窓会で彼は「この間大島のところの子供を抱っこさせてもらったんだけれど、可愛いんだよね。ちょっと子供が欲しくなっちゃった」と話していた。まだ独身の彼が子供を持つには、普通に考えればまず結婚することが必要だろうし、結婚にしても同じ歳の女性と結婚するのであれば出産はかなり非現実的なことになる。だが、まったく不可能ではない。10歳以上歳の離れた人と出会って結婚すればいい。まあ結婚することを目的に婚活するのと、子供が欲しくて婚活するのではまったく違うし、成果も違ってくるだろうなとは思う。子供が欲しいことを最大の目的にされても、女性としては「なんだよ出産マシンなのかよ」という気分になるだろうし、それでは前提となる結婚生活での意見の一致も難しいような気がする。相手も同様に子供のことを最大の目的として、種馬としての旦那を探しているのであればいいのだろうが、それだと生まれてからもお金を稼ぐマシンとしてのみ利用されるだけのような気がする。挙句に離婚して親権を持っていかれたら目も当てられない。まあ、そんなこんなは派生する妄想に過ぎないし、同級生には頑張ってもらいたいとして。
 今日の会で、担当者の先生が面白いことを言っていた。子供はここに生まれてくる役割をもって生まれてきたと。だから生まれる前から知っていることもたくさんあって、そんなことを知らないと思っていることをなぜか知っていることがあると。なんでそんなことを知ってるのと尋ねても、そんなん生まれる前から知ってるよと子供は平然と答えることがよくあるのだと。その話を聞いて、なんか不思議と腑に落ちる気がした。僕はスピリチュアルなことなどほとんど信じていないのだが、子供が産まれて来たとき、やはりこの子はここに生まれてこようとしていたんじゃないかと感じたのだ。つまり、魂というものがあって、生まれる前の長男の魂はずっと前からその辺を浮遊していて、僕と奥さんの間に生まれてやろうと虎視眈々と狙っていて、彼によって僕らは引き合わされ、結婚することになり、京都に引越しをさせられて、そしてようやく準備が整ったなしめしめと、長男は狙い通りに僕らの間に誕生してきた、そう感じるのだ。だから、僕らが出会ったのも結婚したのも、抗い難い力にそうさせられたんじゃないかという、そんな思いなのである。そんなことを言うと、子供のいない夫婦はどうなるんだとか怒られそうだが、まあ妄想だから気にしないでくださいとしか言い様が無いので無視するとして、少なくとも僕ら夫婦はそんな風に感じている。だから同級生にもそういう力が働いていたらある日突然そういう流れに飲まれるように子供が授かるかもしれないし、だから焦らず騒がずに、取り合えず婚活しろよと、まあそんな風に思ったりしている。けっして遅くないぞ。僕だって40過ぎで結婚して、47で父親だ。そもそも僕が結婚するという話を聞いたとき、近しい友人ほど驚いていたじゃないか。何が起こるか判らないのが人生ってものだ。
 話は長くなり、何の結論も出やしないのだが、まあ、そんな感じです。今も奥さんは長男を寝かしつけてて、その間だけ僕もヒマなのでこんなことを書いてみました。もうすぐ長男も熟睡するだろうし、そしたらまた夫婦の会話の時間です。文章としてのまとまりより、夫婦の会話の方が断然重要なので、たいした推敲もせずに、この辺で終わりにします。

ブログスタイル

 僕のブログは基本的に長い。それは自分でも自覚している。長いのには理由がある。ここでしか長いのを書けないからだ。
 書けないというのは大げさだが、書く場所が文章を作るというのは信じている。2000年頃からキラキラのサイト内で始めた日記は、ほぼ毎日書くことを唯一のルールにしていた。そうなるととりあえず書くということが大切になり、一日あたりの文章量は短いものだった。そのうちにmixiに出会った。ここではマイミクからの反応があり、日記もウケを狙った傾向がでてくる。ここでは、画面の幅に収まる長さの一文で改行することを心掛けた。そうすると非常に読みやすい文章になる。その一方、物足りなさもこみ上げてきた。短い文章が読みやすいのは間違いないのだが、読みやすいだけが文章の価値ではない。入れ子入れ子の構造になって修飾語のオンパレードになることによって初めて表現できる内容というものもある。それを書くためには、mixiでやっているような文章ではダメなのだ。だから、ブログではそういう面倒くさい書き方もアリで、文章を書こうと、ずっと思ってやっている。
 で、長い文章を書くとなると、やはり携帯ではなくパソコンで書きたい。キーボードの方が入力効率は圧倒的に良い。だが、入力効率が良いものだから、どんどん書いていき、際限がなくなる。見直しをしてたら修正したくなる。単なる修正ならいいが、途中に文章を追加したくなる。追加したら前後のつながりもおかしくなって、全部書き直したくもなる。それで結局書ききれなかったネタが何個あるのかも判らない。
 というわけで、これからはブログを携帯でも書こうと思う。その分長さも短くなるだろうし、文章的にも推敲しなくなるから適当な誤字脱字も甚だしくなるだろう。それでも、書く頻度が上がれば、文章力も多少は上がるだろう。
 なんか、TwitterやFacebookのことも書こうとは思ったがとりあえずやめておく。書けばそれなりに話も広がるような気もするが、それをやり始めると結局元の木阿弥になるような気がして。