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東京

 東京に行ってきた。
 その前に行ったのは、友人が突然死んで、そのお葬式のため。いいヤツだったけど、死んじゃしようがない。重要だけど虚しい東京行きだった。でも今回はなかなかに楽しい東京だったよ。ビクター時代の後輩とメシ、大学時代の親友たちと同窓会で飲み会、高校時代の友達とメシ。その他に僕の友人両横綱とは結構密な時間を過ごした。一人きりになる時間なんてほとんど無かった。
 京都に移り住んでも、TwitterやFacebookで友達とは連絡取れるしそんなに寂しい思いをすることはほとんどない。それは事実だ。でもネット上でコミュニケーションをするのと実際に会うのではやはり違うね。違うからといって、これからまた会えない日々が続くことを寂しいことだとはまったく思わないんだけれど、でも両方が同じだとは思わない。あれもあって、これもあって、それでいいんだろう。東京にいた頃にもそんなに毎日のように友達に会っていたわけじゃないし。
 京都の生活に慣れたかとか、京都はどうだとか、いろいろと尋ねられる。京都永住のつもりかとも聞かれる。でもね、そんなことはあまり考えてないのですよ。どっちにするかなんて。それは東京に26年住んで、自分の人生の中では一番長くいた場所なのに、京都に移ってから第二の故郷的な場所として意識するかと思っていたら、そんなことはまったくなくて、生まれ故郷の福岡に対する気持ちと、東京に対する気持ちはまるで違う。流れ者が長いこと東京にいてしまったなと、だから東京を離れても、またそこに戻ろうとか思わないし、でも決別したというような強い拒否反応もないし。
 同様に、京都の暮らしを今は満喫しているけれども、そこに永住するとまではまったく考えていないし、それはそのうちに京都を離れるつもりでいるということでもなくて、だから、いつまでっていわれても、3年後に学校を卒業するぞというような、予定を考えるようなことはまったく考えていないということ。動くかもしれないし、ずっといるかもしれないし。そういう、流れ者がたまたまそこにいて、いつまでと期限を切ってもいないという、そんな感じ。
 だから今日も気軽に東京を離れた。センチメンタルな感傷も無く、そこはただ26年住んだ街であって、それ以上でもそれ以下でもないというような。
 でもまあ、こんなことを書いているということ自体が、多少のセンチメンタリズムがあるということなんだろうか。そんなつもりはさらさら無いんだけれども。ただ、友との別れ際にポーンと肩を叩かれたりすると、なんか勝手に自己都合で東京を離れて悪かったかなというような、そんな気持ちにはなるよ。東京は、そういう感じで僕を思ってくれる友達がたくさん住んでいる街、そんな感じだ。だからやっぱり特別だし、ついついまた来るよなんて気持ちにもなる。それがいずれまた住もうというようなことにはなかなかつながらないんだけれども。

2013

 久しぶりに福岡で年を越した僕ら家族は、昨日3日に京都に戻ってきた。2年前までは東京から奥さんの実家松阪に行って年を越し、福岡に移動する途中で京都に1泊したりしてたが、その旅先だった京都に戻る。それもまた面白きことかなという感じだ。
 福岡では、僕はなかなか有意義な時間を過ごせたよ。7人もの友人に会えたし、親戚のところにも顔を出せた。赤ちゃんを連れて夫婦でお散歩にも行ったし、博多うどんも食べた。いっぱいご馳走を食べて、これはちょっと食べ過ぎなくらいだった。これからダイエットしなきゃな。
 で、京都に戻って、今朝いつものように会社まで徒歩通勤し、途中下鴨神社に寄って初詣。ニュースでは各地の神社が初詣客で溢れていると言われてたが、ほとんどの人は年に1度だけ神社に行くのかもしれないが、僕はもう下鴨神社に年間70回ほど行くという一種のマニアだから、今日も普通に参拝。普通の参拝がたまたま初詣だという、そんな感じ。また新しい1年が始まるよなという感じの感慨はある。
 というわけで、今年も皆さんよろしく。というわけでと言っても、僕にもどういうわけなのかはわかっていない。なんとなく、よろしくです。
 さて、早く年賀状を書かなきゃ!

2012

2012年を振り返る。
ある意味、激動の一年だった。生涯で二度目の、福岡に帰らない新年を京都で迎えた。妊娠していた奥さんの体調を考慮して、移動を控えていたところ、さらに体調が悪くなり安静に。だから結局福岡に帰ること自体がなくなるという2012のスタートだった。
友人の突然の死もあった。酒の席でのイザコザで殴りあい、転んだ際の打ちどころが悪くくも膜下出血であっけなく。その前には別の親友もくも膜下で倒れ、手術。こちらは幸いにも命はとりとめたものの、リハビリなどを兼ねて実家に戻ることに。何が起こるか判らないなと感じさせられた。
そして何といっても6月の長男誕生。大げさなステレオタイプ的なことではなく、地味に確実に人生観が変わった。子どものパワーってすごいと思う。いやまったく。
振り返るってなんだろうな。出来事を列記するならいくらでもできる。でもそんなのは振り返るとは言わないような気がする。
2012年が終わろうとする今、紅白を観ながらふと考えた。実家の食卓には母と兄夫婦と甥っ子姪っ子。それに僕ら夫婦と長男の、合計8人が集っている。今はもうそれが当然なんだけど、この家を建てたのは今は亡き父であり、この場所は父と母と、兄と僕の4人の場所だった。いつも父が座っていた辺りに僕が座ってしまっている。僕が政治に関心が深いのは明らかに父の影響だ。当時は自民が政権を追われるなど考えもしなかった時代で、山崎拓を応援していた父は、生きていたら今の政治状況にどんなことを言ったのだろうか。そのことを、自民党支持の父と話してみたかった。
父が肺がんで危篤状態になった晩、母は病院に泊まり込んだ。だから僕は兄と2人で食卓にいた。何故か僕が晩飯を作って、一緒に食べた。ちゃんとした礼服も持ってなかった僕らは、いざという時のために準備しておかなければいけなくて、でも準備するのも不謹慎な気もしたし、そんなことを夜通しずっと話していた。それが、父がまだ生きている最後の晩になった。
そんな食卓に、今は三世代が8人で集っている。不思議だな。8人の主役は生後半年の長男で、代わる代わるに抱っこされたりしている。幸せの象徴のような存在だ。父が存命の頃には考えもしなかった光景が、幸せの色を帯びて展開している。不思議すぎて涙が出そうになったよ。このことを、父が生きていたらどう思っただろうか?それとも政治談義の方に熱を上げただろうか?
世代が移り、顔ぶれが変わる。それはごく自然なことだ。でも、今は一人欠けることも想像出来ないこの8人の家族がここにいることは、自然でも何でもなく、むしろ奇跡的な何かだと思う。長男が生まれて以来感じていることは、僕ら夫婦のDNAが組み合わさってひとつの命が誕生したという科学的な話ではなく、魂として浮遊していた長男が、僕と奥さんのところに狙いを定めてやってきたという、そんな非科学的な運命論である。だから、僕ら家族も偶然の組み合わせでここにいるのではなく、必然的にここに集うようになっていたと、そんな風に感じているのだ。
さて、2012年ももうあと1時間を切った。今僕はその食卓を離れ、実家の寝室に長男と2人でいる。生後半年の赤ちゃんに夜更かしなどさせられぬのだ。だから大人が1人付いているわけで、さっきまで寝かしつけてた奥さんと交代し、長男の横で転がりながらこれを書いている。階下の食卓では年越しそばの準備が始まっているのだろうか?父存命中に食卓を囲んだ4人のうち2人が不在で、6人の家族が楽しくやっている。奥さんには、1年前には家族としての血縁関係はなかったが、今は隣に寝ている赤ちゃんのおかげでれっきとした血縁者だ。いや、血が重要なのではなくて、いろいろなことがあって、家族は家族になっていくわけで、僕のいない食卓で飯食っているこの瞬間というのも、奥さんを家族にしていっているのだろう。
なんかまとまりがなくなってきた。まとまりをつけるためには、あと50分を切った残りの2012年はあまりにも短い。来年はもっとまとまりの有る文章をスラスラと書ける自分になりたいと思う。
年越しそば、僕の分は残っているのだろうか?

おもてなしについて

 先週の土曜日、15日に僕ら家族はある京料理屋に行った。
 その店は僕にとって大切なお店である。今から18年前に父が他界し、翌年僕は母と兄と3人で関西に親子旅をした。その旅は、父を想う旅だった。福岡で父を火葬したとき、骨壺に入れられる骨は僅かで、残りの骨がどうなってしまうのか、母は気にかけ、兄は係の人に尋ねた。すると、そういった骨を集めて供養するお寺が淡路島にあるという話だった。それで、落ち着いたらそのお寺にお参りしたいと、母が言い出したのである。
 95年の5月、僕らは関空に集合し、2泊3日の旅をした。初日は大阪に、2日目は京都に宿泊した。せっかくの京都だから、おいしい料理を食べたかったのだが、どこに行けばいいのか、慣れない旅行者には難しい問題だった。それでホテルのコンシェルジェに、リーズナブルで京都っぽいお店はないかと聞いて、紹介してもらったのがそのお店だった。
 特別仰々しい店構えでもなく、ホテルから予約をしてもらっていた僕らはカウンター席に通された。そんなに構える必要のない料理がいくつか出てきた。美味しかった。忘れられない一品は若竹煮だ。それまで筍が嫌いだった僕が、一夜にして筍好きになったのはここの若竹煮が美味しかったからだ。
 カウンターにいたその店の大将が、僕らに京都の観光ガイドブックをくれた。お店の情報が載っているんだと大将は誇らしげだった。だが、なぜ大将は僕らにガイドブックをくれたのだろうか。それは今もよくわからない。よほど京都に迷った家族と思われたのか。でもその時は嬉しかった。メニューにもなく代金にも含まれないサービスを受けたような気がした。そういうちょっとした思いは、なかなか頭から消えることがない。
 以後、何度かそのお店に行った。一人で京都に行った時にお手頃なランチを一人で食べたりした。奥さんと結婚前に始めて京都旅行した時も、夜ご飯はそこで食べた。そんなに京都に詳しいわけもない僕に、女性に喜んでもらえそうな選択肢はそうそうない中、ここがベストだと思った。彼女にも喜んでもらえた。最終の新幹線に乗るために大将はタクシーを呼んでくれ、玄関を出て車に乗れる通りまで約50mほど出てきて、呼んだタクシーが確実に来たことを確認し、見送ってくれた。おいおい店にはまだお客さんいるだろうに。この瞬間に他のお客さんがお帰りになってたらどうするんだ。まあそんなことを考えていたら、お見送りなんて出来ないんだろう。その不器用ながらもストレートな人柄が、僕らを嬉しくさせるのだろう。
 やがて婚約をし、両家の親の顔合わせにもここを予約した。京都に越し、奥さんが妊娠し、子供が生まれる直前最後のお出かけでもここにランチを食べにいった。そして先週末、生後半年の長男を連れてランチに。
 仰々しいお店ではない。ランチメニューは申し訳ないくらいな値段でしかない。なのに、お店の人は心からのサービスをしてくれる。食事が終わって帰る時には玄関まで出てきて見送ってくれる。もしかしたらそういうお店は他にもたくさんあるのかもしれない。だが僕が知っているのはそこだけで、そこではそういうおもてなしをしてくれて、そこと自分との歴史もあって、なんかいいなと思っている。そういうお店をひとつだけでも持てて、幸せだなと思う。
 変わって今日、僕はある友人のホームパーティーに家族で出かけた。
 彼とはFacebookで偶然に知り合った。京都に住む映画監督「R」で、スイス人だった。2009年に彼が作る映画が東京のライブハウスでも上映すると聞き、足を運んだ。その後Facebook上でちょくちょくやりとりをし、僕が京都に移住して、直接再会した。その彼が先月京都の郊外に引越して、今日は新居披露パーティーということだった。
 面識あるのは彼だけで、どんな人が集まるのかもわからない。パーティーというのはそういうものだろうが、何人集まるのかもわからず、料理などは持ち寄り制というのに、どのくらいの量の食材を持っていけば良いのかもよくわからず、まあとにかく行こうということで車を走らせた。一般道で約1時間半。京都市内とはかなり違う雰囲気の町に着き、家に上がった。
 楽しかった。まったく知らない人たちの輪の中に入れてもらったわけだが、彼らもまた「R」に招待されてやってきたわけで、きっと知らない人たちの中に入った状態だったのだろう。話をして、食べて飲んで、とても和やかな時が過ぎた。
 和やかな時を過ごせたのは、きっと「R」の人柄なんだろうと思う。知らない人でも、みな彼の人柄に引き寄せられた人たちだから、きっと話しやすい人だったんだろうと思う。みんなを彼と奥さんがもてなし、場が作られる。食べ物は各自が持ち寄ったが、僕らは彼にもてなされたと感じた。
 目的はお店に料理を食べにいく、あるいは友達のパーティーに参加する、ただそれだけだ。でも、料理が食べられたら満足なんだろうか。パーティーに顔を出せれば満足なんだろうか。満足とはそういった目的の向こうにあるものだと思う。牛丼屋で満足することもあれば、高級レストランでイヤな思いをすることもある。それはきっと、メニューでも料金でもなく、人なんじゃないかと思うのだ。気持ちのいい人と一緒に時間を過ごすことが出来れば、それで嬉しい。
 僕は、おもてなしをしてくれる幾人かの人と出会うことができて幸せだと思う。僕が幸せである以上、相手にもそういう気持ちになってもらいたいと思う。そういうおもてなしが出来る人間なんだろうか、自分は。そんなことを考えながら、家路の1時間半、車を走らせた。

小さな声

 今回の選挙は、いろいろな意味で興奮もしたし、警戒もしたし、失望もした。
 僕の住む京都2区からは、民主党逆風の中で前原誠司が当選を果たした。TwitterのTLでは「枝野や前原や野田を当選させる地域のヤツらは何を考えているんだ」という言葉も沢山目にした。そう。僕がその地域のヤツらである。地域のヤツらにもいろいろいる。だが、僕の小さな1票では前原誠司を落選させることは出来なかった。前原誠司が72170票、自民が42017票、共産が24633票、社民が7416票。2位以下を全部足せばかろうじて前原誠司1人の得票を上回る程度という圧勝状況。それでどうすればいいんだ?日頃から街を歩けばそこら中に前原のどアップのポスターが貼られている。ここは前原が将軍さまの独裁国家かと思うくらいの勢いで貼られている。そんな中で、国民の1票なんて小さいなあと無力感を感じさせられた。
 自分の選挙区の問題もさることながら、全体の政党の当選者数もとんでもない感じに終わった。選挙前から「自民の圧勝」的な世論調査が繰り返され、それでマッチポンプ的な雰囲気が強調されていったという側面もあるだろう。が、結局は反自民の勢力がまとまれなかったのが敗因だと思う。
 思えば、1993年の政権交替以来、政治は結局自民対反自民の構図がずっと続いてきたと言える。最初の政権交替では中選挙区制で勝ち抜いてきた8党派による連立政権だった。それが自民党によるスキャンダル攻撃と、村山富市率いる社会党の離脱によって政権が再び自民に戻ることになった。続く2009年の政権交替は、旧民主党と自由党の合併によって生まれた民主党が大きな反自民の対抗馬として選挙に勝利したのである。その後小沢一郎への司法的な攻撃と、マニフェストと真逆の政策を次々に進めた菅&野田首相への不信感が、民主党に逆風を吹かせ、離党者を続出させてふたたび自民に政権が戻ることになった。
 別の党による選挙後の連立という手法と、反自民が1つの党になるという手法とで、とりあえず2度の自民下野は実現した。だがいずれも自民の巧みな攻撃によって、反自民勢力は権力を明け渡す時にはバラバラに崩されてしまう。そこから再び対抗馬になるまでに、実に15年のサイクルが必要だということになる。
 そうなると、次のチャンスは2027年だ。その時には小沢一郎も85歳。政治家として第一線で勝負するということは難しいだろう。今回のように少数野党になっても、それはかつての自由党のようなものであって、だからこれで終わったという条件になるとは思わない。だが、復活するのに15年かかったとしたら、それは政治生命としてかなり難しい状況になると言わざるを得ないだろう。
 そうなると、もう自民による政治に甘んじるという選択か、もしくは小沢一郎に代わる新たな政権交代実行能力を持った政治家が育つことに賭けるという選択しかなくなってくる。だがそれは両方とも難しい。そもそも自民は今回の選挙でも実質過半数の支持を得ているわけではない。それに甘んじて納得できる国民ばかりのはずはない。
 また、小沢一郎は希有な才能を持った政治家であり戦略家である。それと同等以上の政治家の成長は容易ではない。小沢一郎と同等ではダメなのだ。それ以上でなければならない。それが15年で出来ると考える方が能天気だ。一方で自民党は着々と世代交替を行なっている。1期や2期浪人を強いられても生活には困らないという態勢で二世三世という世襲政治家を登場させ、なおかつ小泉進次郎という才のある四世までも登場させている。それに勝つために、政党としても野党集団としても崩された中から新たな才を見いだし育てなければならないのである。これはもう難事業中の難事業と言わざるを得ないだろう。
 普通なら、諦めるところだ。でもそれではいけないと思う。じゃあどうするのかという具体的な工程表などはまったくない。次の参院選でどう巻き返すのかさえ五里霧中だ。でも、諦めたりしてはいけない。例え今回の選挙中に巷間噂されていたように国防軍ができ、徴兵制が実施され、戦争に突入したとしても、諦めるなんてことは許されない。原発が次々と再稼働されたところで原発事故が再び起こったとしても、諦めたりしてはいけないのだと思う。
 ここまで書いてきて、では何にそんなに対抗すべきなのかという疑問は当然湧く。自民がそんなに悪の権化なのかと。そうではない。55年体制が始まって以降93年の政権交替まで、自民党は下野の心配がないから慢心してきた。政治のプロではあっても、慢心がそこにあるが故に社会が歪んだ。それを監視チェックすることが大切なのだと思っている。そのためには、常に下野の危険性を感じさせる必要があると思うのである。そうでなければ、政治は国民の方を向かない。自分に関係のある業界や官僚や外国を向く。それで善政がされるならまだいいが、そうだとしても、それは民主主義に非ず、単なる殿様による世襲政治である。世襲の支配層によるおこぼれ善政に過ぎない。今の自民のように二世三世が跋扈する政党が政権を長期間占めるならばなおさらだ。
 ああ、なんかここまで書いてきて、そんな大きな問題のことまでじゃなくて、もっと卑近な矮小なつまらない部分での失望だったんだと思う。それは、60%を切る投票率だ。4割以上の有権者が、権利など要らないと行動で示しているのである。そんなところに民主主義も何もないだろう。311という未曾有の災害を経て、その後の国の対応の異常さと不公平さを見てきてなお、権利など要らないと投票を棄権しているのだ。選挙制度がどうだとか、マスコミの情報操作とか、二世三世の世襲とか、そんな問題以前の、国民の意識の低さが問題なのだ。民衆の意識が低いなら民主政治もまた低くならざるを得ない。だったら、このまま谷底に真っ逆さま以外に道はないのかもしれないと、そんな感じの失望だったんだと、今は感じている。
 じいさんたちによる政党「立ち上がれ日本」は消滅したが、いまこそ立ち上がれ日本人なんだろうと思う。そうでなければ、この国に明るい未来などはない。あるのは、ご主人様によって生かされる奴隷の一生ではないのだろうか。

風は吹いているか

 作業をしながらCDをたくさん聴いていた。今日はCOVERSも聴いた。RCサクセションの1988年のアルバムだ。
 このアルバムは当時発売中止になったいわくつきのアルバムだ。原発反対を歌っていたから、原発メーカーである東芝の子会社東芝EMIが発売を中止にしたのだ。しかしその後KITTYレコードから発売された。発売が決まらずお蔵入りかと思われていた時期にはファンの間で非公式のテープ(カセット)が出回っていると噂だった。夏の野音のチケットを取るために日本放送のプレイガイド(当時っぽい)に徹夜で並んでいた時も、先頭付近のファンたちはその話で持ち切りだった。
 ま、それはともかく。1988年のこのアルバムをこの時期に聴いた。311以降は反原発の人たちが清志郎がタイマーズ名義で出した曲のいくつかと、このカバーズの数曲を取り上げて自分たちの主張に利用した。僕個人は原発反対だが、だからといってそうやって清志郎の曲を使うことはどうかと思っていた。なんといっても清志郎は故人だ。その使い方が清志郎の意思に沿っているのかどうかわからない。そういう使い方は故人に失礼だ。
 で、今日のカバーズだ。
 1曲目は「明日なき世界」、バリー・マクガイアのEve of Destructionのカバー。「おまえは殺しの出来る年齢/でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ」とくる。
 2曲目は「風に吹かれて」、ボブディランのblowin’ in the windのカバーである。「どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?/どれだけ金を払えば 満足できるの?/どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?/その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」だ。
 3曲目は「バラバラ」、レインボウズのBalla Ballaのカバー。「世界中バラバラ 人々はバラバラ/考えがバラバラ やることもバラバラ」
 通して聴いていると、清志郎なりの警告だったような気がする。当時の僕は若くて、というか幼くて、ガキで、世界は平和で、単にRCの曲が聴きたいというだけだった。発売が中止になった理由に社会的な問題があって、そんなのどうでもいいから作った曲は聴かせろよと思っていた。今聴いて、それはまったくバカだったなと思わずにいられない。それは、今の社会の状況がまさにこのカバーズの警告にピッタシだからだ。
 僕は2曲目の「風に吹かれて」の「その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」が妙に頭に残った。この単純な言葉にはいろいろな意味があるだろうし、いろいろな解釈もされている。僕なんかが今さらだが、聴いていて思った。風とは、社会の雰囲気なんじゃないかと。選挙などではよく「風が吹く」といわれる。郵政選挙の時には「小泉旋風」が吹き荒れた。つまり、風とは、国民の意思なんじゃないかと思ったのだ。そう考えると、世の中にあるあらゆる問題は、国民の意思によってしか決まらないし、その意思が、ひとつの方向に向けて強まった時に風は起きる。311以降初めての総選挙で、僕ら国民の意思というのはひとつの風となって吹くのだろうか?そのことが問われるんだろうなあと思ったのだ。
 その直後に「世界中バラバラ 人々はバラバラ」と来るものだから、頭が痛い。その曲の最後の歌詞は「爆弾がバラバラ 身体までバラバラ WOO!バラバラ」である。そう簡単に、理想など現実にはならない。そもそも人々がみんなバラバラのことを考えていては、風など吹かないのである。それが自由というものの実体なのかもしれないし、それによるメリットも、デメリットも同時に存在しているのかもしれない。
 いずれにせよ、もうすぐ選挙だ。正しい方向に風が吹かないと本当にマズいところに来ていると僕は思う。老いも若きも、正しい日本の、そして世界の在り様を真剣に考えて、自分なりの風を吹かせていかなければいけない。

自分の意思を表明するということ

 2009年の2月、イスラエルの文学賞であるエルサレム賞を受賞した村上春樹はスピーチでこう語った。「ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?」
 当時はオバマ政権誕生直前で、政権移行期の空白期にイスラエルがパレスチナ自治区ガザを空爆。多数の死者も出ていた中の授賞式に村上氏が出席することへの批判も高まっていた。スピーチの中で村上氏自身が「出席するな」と言われたと明かしている。だが村上氏は敢えて出席し、スピーチで意思を表明した。
 日本での総選挙を来週に控え、僕はそんなことを思い出したのだ。
 今回の選挙は実に重要だと感じている。僕らの選択が国の在り様を大きく左右するという実感があるからだ。これまでの政治の在り様、それにまつわる利権の存在、それらに振り回される小さな人々。それが昨年311の震災とそれに続く原発事故でより如実に迫ってきている。なのに社会はそれを解決する方向には進まない。復興という言葉に対する理想型が国民の中で一致せずにむしろ対立しているようにも見える。では心からの理想を復興に投影しているのかというと、そうではなく自らの利益のために復興を利用している人たちの姿も透けて見える。
 僕は、それが「高くて、固い壁」なのではないかと思うのだ。
 僕らは目の前に横たわっている原発事故の収束という大きな課題を解決できずにいるのに、政治は別の命題を表に出して行こうとしているようにも見える。国防軍問題や改憲問題を殊更にこのタイミングで言う人がいる。徴兵制を口にする人もいる。人権を制限しようとする動きも見える。
 第二次世界大戦で日本は敗戦をした。同じ敗戦国家であるドイツでは、国を戦争に導いたナチスをタブーとし、ナチス関係者の罪をけっして許さず、見つけたら墓を暴いて断罪するほどだった。それは国の平和に関するトラウマだったのだろう。絶対にナチスを許してはならない。それがドイツの姿勢だった。日本ではどうだろうか。トラウマがあるとするならば、それは核であり、軍国主義だったのだと僕は思う。だから非核三原則を愚直に堅持し、憲法第九条の戦争放棄を金科玉条のように大切にしてきた。
 それが、今別の風向きに曝されようとしている。
 改憲論自体はあっていいと思う。時代が変わればルールも変わる必要がある。だが、変われば必ず良くなるとは限らない。そして今おこなわれている改憲論のベクトルは、日本を再び軍事大国へと向かわせようとしている。そしてそのベクトルを善しとしている人が増えつつあることも現実で、空恐ろしい。
 世界的な不況の現代である。不況は常に需要を欲する。不況によって醸成された自暴自棄なムードと厭世観が、戦争に寄って生み出される軍需需要を欲しやすくなるのは歴史が証明している。八方手詰まりの政治がそこに向かう可能性はけっして否定出来ない。だからこそ、現在の改憲ベクトルがとても危険で、忌むべきものだと僕は思うのだ。
 
 48歳の僕は、非常にいい時代を生きてきたと思っている。高度成長の中で両親の仕事もそれなりに順調で、特に不自由なく育った。私立の大学にも通わせてもらった。卒業の頃はまだバブルで就職も比較的簡単だった。それは親の世代が戦争を体験し、平和を大切に思いながらこの国を作ってきたからだと思う。政治家だけではなく、普通の人たちがかなり頑張って日本を豊かにし、僕らの世代は恩恵を受けているのだと思う。
 だからこそ、子供の世代にも平和で豊かな日本を受け継がせていく責任が、僕ら世代にはあるのだと考えている。仮に豊かな日本が難しくなったとしても、せめて平和な日本だけは死守しなければならないんだと強く思う。
 埼玉に94歳の男性が無所属で立候補したという。「葬式代としてためていた年金を選挙資金に充てた」と覚悟を口にする。「右傾化する安倍(晋三・自民党総裁)や石原(慎太郎・日本維新の会代表)から『軍』なんていう言葉が普通に出る。橋下(徹・同党代表代行)もムチャクチャ。無条件降伏したのに。日本はどうなっちゃったんだ、という不安がありました」「オレは戦争で死なず、散々いい思いをした。このままじゃ死んでいった仲間に申し訳ない」と。この人が当選するかどうかは判らないし、仮にこの人が1人当選したところで国会を左右できるとは思わない。だが、この人にとっては居ても立ってもいられない想いが突き動かし、今回の立候補になったのだろうと思う。世代は違えどもそれは僕の中にもあるやりきれない想いだ。本当なら僕も立候補したいくらいの気持ちがあるが、現実がそれを許さない。そういう意味でこの94歳男性の行動はあっぱれだと思うし、ある意味、そうしたいけれども出来ずにいる人たちの代弁者であるように感じている。
 この人のように立候補までしなくとも、僕らには1票を投じるという権利はある。それは無料だ。20歳以上の日本人なら誰だって出来ることだ。だからそれをやればいいんだと思う。投票を出来るということは、とても素晴らしい権利なのだ。
 村上春樹のスピーチにあった「壁と卵」の例えは、ガザ地区を包囲している壁のことを指していることは間違いないだろう。ガザ地区を包囲する高い壁はパレスチナ人をその一画に押しとどめている。パレスチナにも言い分はあるだろう。イスラエルにも言い分はあるだろう。だから問題は解決せずに今も国際問題としてそこに横たわっている。その現実は壁によって遮られ、パレスチナ人は自由を欲し、壁に挑む。人々はイスラエル兵に投石を行ない、やがて火炎瓶を投げるという攻撃につながっていく。その投げ手は女性や子供を含んでいた。
 なぜか?そういう手段しかないからである。合法的な方法など無く、だから石を投げることしかできない。自爆テロも行なわれた。それしか方法がないからである。
 村上氏は常にぶつかって壊れる卵の側に立つと言った。僕はその姿勢は正しいと思う。だが、出来れば卵を投げて壊れてしまう前に行動を起こしたいとも思うのだ。
 それは今なら選挙だ。卵を投げる前に1票を投じたい。そのくらいのことを今しておかなければ、子供の世代には本当に卵を、石を、火炎瓶を投げなければいけないことになってしまうんじゃないかという強い危惧を感じている。
 では選挙でどういう票を投じるべきなのだろうか。僕の住む京都左京区は、京都府2区という選挙区である。ここには佐藤大(社民党)、原 俊史(共産党)、前原誠司(民主党)、上中 康司(自民党)の4氏が立候補をしている。これまでは、この中の特定の候補を落選させたいという思いがとても強かった。その人を落選させるために最大の効果を発揮する投票行動は、1位2位を争う対立候補に投票するということがもっとも効果的だと言える。ではそのやり方で投票したとしたらどうなるのだろうか?それは、改憲論を主張する党首を持つ政党の力になるということに他ならない。当初の目的を達成するために最大の努力を払うということは、結局はそういうことになってしまう。
 だが、それでいいのか。もし仮にこの国が軍国主義に傾斜していったとして、今回の投票行動で改憲論を主張する政党に票を投じていたとしたら、後日子供に言い訳できるのか。そう考えていくと、やはり投票というのは単なる戦術などではなく、自分の意思の表明以外のなにものでもないということに突き当たる。
 僕は思うのだ。民主主義というのは多くの人たちの想いに基づいて意思表明がなされる仕組みなのだと。小さな人たちの意思が票という形で表出し、この国の未来を作っていく。僕の想いは小さいが、同じように小さい想いが積み上げられて、大きなベクトルとなっていく。その小さな想いは、小賢しい戦略であってはならない。純粋に自分がこの国が将来どうあってほしいのかという意見であるべきである。そう考えると、嘘つきの党の中心人物や、この国を軍国主義への第一歩に引きずる可能性のある党の候補には絶対に投票など出来ないと思う。他人はどうか知らないが、僕個人はそう思う。だから、その想いに忠実に意思を表明すればいいのだと思う。割と単純なことだ。
 この京都府2区では、以前から応援したいと思っている人の関係者が立候補してくれてはいない。もしそういう人が立候補していれば簡単な選択だったと思う。だがいろいろな事情があるのだろう。今回はそういう簡単な選択が出来る状況ではない。しかし、そのことでいろいろと考える機会になったわけで、ある意味良かったなとも思っている。投票の結果どんな勢力分布になっていくのかが重要なのではなく、自分がどういう人に政治を託したい、あるいはどういう人に政治を託したくないかという、そういう気持ちを大切にして、子供にも胸を張って自分の選択を説明できるような、そんな票を投じればいいのだ。少なくとも今はそう思っている。

弱者を利用するのは誰か

 田中眞紀子文科相が3大学の認可を認めなかったことが話題になっている。
 まず断っておきたいのだが、僕は野田内閣は一刻も早く解散すべきだと思っているし、擁護するつもりはないし、野田の再選を支持した田中眞紀子のことも蔑む思いである。
 だが、今回のことは報道が騒いでいるような暴挙とはまったく思えない。そしてこのような報道の流れになっていることが非常に胡散臭いと感じているのである。
 まず、今回の不認可によって影響が出る、入学を希望していた高校生や、短大が4年制大学になることで編入を希望していた短大生がインタビューを受けて苦しい胸の内を明かしていた。また、翌日に控えたオープンキャンパスに参加するために神戸から秋田までやってきていた高校生も困った表情をしていた。福祉を学ぶために会社を辞めて受験勉強していたオッサンも困った困ったと言っていた。確かに困るだろう。そういう学生に罪は無い。そういう意味では混乱を来している。うん、確かに困ったことだ。
 と、非常にわかりやすい組み立ての報道なのだ。これがどうしても胡散臭い。入学を希望する若者たちをなんとか救済したいよね。そりゃそうだ。それで田中眞紀子が悪者に仕立てられる。だが問題はそんなに単純なものではないはずだ。
 大学が出来る(今回の場合は専門学校が4年制大学に変わるケースが1つと、2年生の短大が4年制大学に変わるケースで、厳密に言えば大学が出来るというのとはちょっと違うと思うが)ことによって利益が得られる人たちというのがいる。そういう人たちは表に出てこない。大学の学長予定者という人は会見を開いていた。が、経営者自身が出てきて会見しているケースは見ていない。彼らは短大を4年制大学にすることで補助金が増えるのだろう。監督官庁の人たちも出てきていない。彼らは大学を新設する際に便宜を図ることで天下り先が出来るのだろう。そういう人の声は出てこずに、入学希望者の声だけが出てくる。いかにも胡散臭い。
 現在800ほどある大学の47%が定員割れをしているという(どこかの報道で見た数字で、誤っている可能性あります)。少子化で子供も減っている。それなのにどんどん新しく新設する理由はどこにあるのか。普通に考えれば、それによって補助金がもらえて儲かるという仕組みに乗っかっている経営者と天下り先を確保しようという官僚の利害が一致しているということだろう。そのことに田中眞紀子は斬り込んだわけで、ある意味闘争だ。これまでの仕組みで行けば時代の変化についていけなくなって国自身が歪になることは自明の理だ。現在はその歪さが顕著になってきていて、それで改革をとみんなが叫んでいる時である。だが、改革には痛みが伴う。これまでの仕組みに乗っかっていた方が楽だし、それを維持したいと思っている人は確実にいて、その人たちが痛むのだ。その痛みが大きければ大きいほど、抵抗も激しくなる。野田内閣というのは、本来改革を叫んで政権を取ったにもかかわらず、既得権に張り付いている側の人たちからの抵抗に屈してしまったダメ内閣である。それを批判する声は多い。それなのに、今回のようにこれまでの仕組みを改めようとする動きに対して、世論はいとも簡単に「田中眞紀子の不認可は暴挙」だという説に流されてしまう。
 これは、弱者を利用する黒幕の強者に、僕らの世論まで操られているということに他ならない。利益を阻害される人たちが、受験をしようとしている学生の苦しみを前面に出すことで抵抗しようとしているのだ。それにころっと騙されてしまっては、いつまで経っても改革なんて無理なんだろう。
 もしも今回の大学が認められなくなったことで、学生の学ぶ機会が奪われたと考える人は、どうか考えてほしい。不況の中で奨学金が奨学金という名の高利貸しに変化してしまっている事実を。保育園の待機児童がいまだに解消されていないという現実を。800ある大学には補助金が交付されていて、これから更に大学の数が増えれば、補助金も増えていくのだ。その補助金を奨学金制度の財源に回した方が絶対にいいと僕は思う。47%の定員割れしている大学があるのであれば、そこに学ぶ機会はたくさんある。鉄筋コンクリートの立派な大学校舎を造る余裕がこの国にあるのなら、待機児童を受け入れる保育園をもっと作ればいい。そうすることで親がもっと働きやすくなり、結果的にもっと子供を作るゆとりが生まれ、将来の国の活力にもつながっていく。苦学生が学ぶことにかかった費用を完済するために苦しむ必要もなくなるし、家が貧しいからといって進学を諦めなくても済む可能性が増えるし、結果的に若者の勉強が豊かな社会につながっていく。学ぶ機会というのはそういうことではないのか?
 今の仕組みを変えないのであれば、そういった問題は永遠に変わらないだろうし、変わらなければ少子化や不況も変わっていかない。もちろんそれは文部科学の分野だけでなくあらゆる社会制度についていえることだ。変えたくない人は、変えないで済む理由を自らの欲を前面に押し出してアピールなど絶対にしない。変えることで生まれる一時的な歪みに苦しむ弱者の存在を押し出してアピールするのである。それに単純に反応していたのでは、社会の仕組みを変えようという勇気ある政治家などすぐに潰される。潰されると、僕らが選挙の時に選択する選択肢を失うということになる。
 まあ、僕は田中眞紀子の選挙区に住んでいないし、住んでいたとしても次の選挙で田中眞紀子を選択肢として選ぶことはないけれども、そのこととは切り離して考えると、やはり田中眞紀子をただ感情的にバッシングしていれば解決するということではないと思う。そして、今回田中眞紀子の唐突な決定によって困る人たち確実に存在していて、彼女をバッシングさせようとして、弱者を前面に出してきているということがどういうことなのかは、やはり考えておく必要があると思うのだ。

覚悟

 IWJというのがある。岩上安身氏が主催する報道団体だ。
 IWJは昨年の初め頃だったか、それとも一昨年の暮れ頃だっただろうか。岩上氏がUstreamを使ってインタビューなどを報じ始めたのがきっかけだと記憶している。亀井静香や森ゆうこなどへのインタビューを行なっていた。郷原弁護士などにもインタビューしていた。その頃は岩上氏自身がUstについてさほど詳しくなく、自前のパソコンでどのくらいのことが出来るのかを試行錯誤していた感じだった。iPhoneでの中継でかなり画質が粗いものなどもあった。
 それは大手メディアとは違う報道が広まり出した頃だったともいえる。ニコ生は少々先行していろいろな番組をやっていた。ケツダンポトフというダダ漏れ番組に注目が集まっていたのもその頃だった。それに比べると岩上氏の試行錯誤は見てる側からももどかしいくらいで、オッサンがITに疎い感じが全面に溢れていた。しかしながら彼のやりたいことは明確だったし、そこでしか見られない聴くことができない情報はたしかにあった。
 当初は小沢一郎への不当な司法圧力への抵抗という印象があったIWJだったが、昨年311以降は東電や政府への切り込みが増えた。そこでしか見られない、そして見るべき情報がたくさんあった。東電の会見はいつも唐突で、深夜に行なわれることもしばしばだった。それをきちんとフォローしてくれていた。事故直後の熱のようなものがあった頃から、毎回たいした情報も無くなって多くの報道がその会見を報じなくなったあとも、IWJはずっとそこにいた。そういうものがそこにあるという安心感があった。たとえ毎回その中継を見なかったとしてもだ。
 東電会見だけじゃなく、政府発表の会見なども細かく中継をした。政府とは違う説を主張する学者のインタビューやシンポジウムも細かく中継した。デモが始まればデモをリアルタイムに中継した。東京にいない僕もまるでそこにいるかのようにその雰囲気を感じられた。警察発表のデモ参加者数がいかに当てにならないかということも、そういうものを見ないとわからない。わからないでは、僕らは次の判断が出来ないから、やはりそういう情報ソースは必要だと思う。政府発表やマスコミの報道がいかに偏っているかを知った今では、その必要性はいや増していると思う。
 そのIWJを主催する岩上氏のTwitterでは、このところ会員数についての悲痛なつぶやきが続いている。今年の夏頃の中継数を維持しようとすると5000人ほどの有料会員が必要なのだという。だが現在3800人ほどらしい。見ている人の数はそんなものではない。だが、有料会員となると3800程度になってしまっている。それでは今の規模の中継を維持することは無理なのだという。
 今の規模の中継を維持せずに、スタッフも解雇し、岩上氏1人になったとしてもIWJは続けるのだという。だが、それでは中継できない「事実」が表に出てこなくなる。だから岩上氏はそれを避けたいと強く願い、会員数を公にして、支援を求め続けている。
 大手新聞は毎月5000円近くの購読料を取り、それで1000万人もの読者を抱えているところもある。IWJをそれと較べても仕方ないが、その大新聞を批判する人が多いにも関わらず、IWJのような奇特なメディアを支えようとする人があまりに少ないのには驚く。結局大手新聞を支える人の方が多いのだ。それも圧倒的な差で。1000万人と100万人の差ならまだわかる。1000万人と10万人でも、まだ仕方ないなと思える。だが、1000万人と3800人だ。その差はなんと2631倍。これで正しい報道を求めるなんていうのは絵空事だ。
 
 覚悟と題したのは、IWJを応援したいとかそういうことではない。僕が昨日TLを眺めていたら、岩上氏の一連のツイの続きにあるバンドマンのつぶやきが目に入ったからだ。「ライブ出演の誘いを受けた。ノルマ有り。さて、どうしたものだろうか」というもの。これを見て、ああ、両者の覚悟には天と地ほどの開きがあるなと感じた。
 バンド活動にライブはつきものだ。ライブをやるにはライブハウスに出なければいけない。ライブハウスはボランティアでやっているのではなく、商売だ。そこに出てライブをするのであれば、ライブハウスも儲けさせなければならない。ライブハウスに出るバンドの大半はまだ無名で、だから集客は簡単ではない。だが集客ゼロではライブハウスも大損害だ。だからノルマというハードルを設定し、バンドマンのケツを叩く。集客できなきゃ自腹だよ。だからバンドマンは頑張って友人たちに声をかける。いやあ、バンドマンも楽ではない。
 楽なのが良ければ、ライブなどやらなければいい。自分の部屋でギターを鳴らして歌って悦に入っていればいい。だがそれでは広がらないよ。そしてそんな活動に誰も振り向いてくれないよ。
 バンドマンは自分で音楽を表現して、それを他人に認めてもらいたい。だから人前で演奏をする。言葉で「良かったよ」と言ってくれる人もいる。そこから進んでライブのチケットを買ってくれる人、CDを買ってくれる人が出てくる。CDが3000円だとすれば、その音楽には3000円払う価値があるという評価だ。CDが100枚売れているバンドと、10000枚売れているバンドでは、「その音楽には3000円払う価値がある」と評価した人の数が100倍違うということだ。認めてもらいたければ、CDを売らなければいけない。ライブのチケットを売らなければいけないのだ。それができなければ、自分の音楽には価値が無いと認めなければいけなくなってしまう。
 それでも、なかなかチケットは売れない。だから、ノルマがあれば怯む。そして演奏をする機会をひとつ失う。
 これは岩上氏が会員数が伸びずに現状の中継規模を縮小するということと同じだろう。ノルマが無いライブを探すというのは、無償でボランティアで手伝ってくれるスタッフを捜して、人件費を抑えようということと同じだろう。だが、岩上氏はそうしたくない。スタッフにはちゃんとメシを食わせてやらなきゃと思っている。食わせてやることで、歳を重ねていずれくる自分が一線を退かなければいけない日にも、この報道中継という機能が失われないような社会を築いていくことを目指している。要するに本気なのだ。だから、Twitterで執拗に有料会員になってもらうためのお願いを続ける。
 僕は、売れないバンドマンがそのくらいの執拗さで「ライブに来てほしい」「CDを買ってほしい」「買ってもらえなければ自分が音楽を続けていけなくなるんだ」「自分の音楽が続かなくなるのは世界中の音楽ファンにとって大きな損失なんだ」と主張しているのを寡聞にして見たことがない。もちろん、音楽はエンターテインメントであり、夢を売る商売という一面もあって、そんなに切実な風を見せることがどうなのだろうという意見もある。僕もそう思う。だが、それはある程度の基盤が確立できる人の言うことである。売れなくて、ライブのノルマもカツカツなバンドは、生き残って自分たちの音楽を続けていくためにも、四の五の言っている暇があったら訴えていくべきだ。必死でお客を呼ぶべきだ。そうしないと活動は縮小する。縮小していく音楽に未来はない。そしてなにより、本人が必死でない音楽表現に対して、他人であるリスナーが必死で好きになる理由がないではないか。
 自分こそ本物の音楽をやっているんだというミュージシャンが必死にならなければ、いわゆる商業音楽に負ける。自分こそ本物の音楽を求めているんだというリスナーが必死にならなければ、いわゆる商業音楽だけがはびこることになる。だからもっと必死になってもらいたいと思うし、ミュージシャンはむしろハードルの高いものにこそどんどんチャレンジしていってもらいたいと切に願うのである。
 そうでないと、IWJに命をかけて取り組んでいる50過ぎのハゲたオッサンに完全に負けているということである。いや、岩上氏はものすごい人だと思う。そのものすごいオッサンでさえ、あの活動に対して3800人の有料会員しか集まってもらえないのだ、今のところ。無名のミュージシャンが自分勝手に作っている音楽がそうそう簡単に有料で支持されるなどと簡単に思っている場合ではない。だが、今すぐに3800人のホールライブを成功させろと要求されているわけではないじゃないか。せいぜい10〜20人ほどの集客を要求されているだけなのである。それができずに何の価値ある音楽だろうか。と、自分自身を叱咤できるミュージシャンだけに、明日はやってくる。そう思う。

言論を守るとは

 橋下市長という人は面白い人だ、好きではないけど。
 週刊朝日の記事を巡って橋下市長が大激怒。Twitterで激しく罵倒。当初は強気だった週刊朝日側も白旗を揚げ連載中止を発表。それでノーサイドといいながらも橋下市長の攻撃は今も続いている。
 この一連のツイートの中で橋下市長は言論の自由に言及した。「言論の自由が保障される民主国家においても、やはり議論の余地なく認められない表現はある。」「民主社会においても絶対に許されない言論がある」と。この点について脊髄反射の如く反発するのは愚かだと思う。それは橋下市長の言うことを脊髄反射の如く盲信するのと同じくらいに愚かなことだ。なぜなら、この言葉の中にはいくつかの視点が混在しているし、そしてなおすべての発言する権利について保証するのが言論の自由という概念だからだ。
 言論とはどう保証されるべきなのか。そして保証された言論によって傷つけられる恐れのある人権はどう守られるべきなのか。そのふたつが盾と矛のような作用を生む対立する概念であり、だからこそ、この問題は複雑なのだと思う。
 自分なりに例えてみたい。それが本当に問題を映せているのかはともかく。言論というから曖昧になるが、それを「拳銃」と置き換えてみればいい。アメリカ社会では銃を持つ自由がある。開拓時代以来、自分を守る手段として武器が必要で、その歴史の流れから今も多くの人が銃を所有している。それはアメリカでは認められた権利でもある。では、銃を持つ権利が他者を撃ち殺す権利につながるのかというと、もちろんそういうことは有り得ない。しかし銃を持つ以上、暴発する狂人は後を絶たない。毎年、銃乱射事件のニュースは世界の果てまでも届いてくる。だったら銃規制をすればいいじゃないかという声も当然のように沸き起こる。だが、アメリカで銃が規制される具体的な動きはまったく起こらない。
 日本ではもちろん銃など持てない。最近ではナイフだって自由には持てない。以前深夜にドライブしている時に検問を受けたが、その際十徳ナイフの刃渡りの長さをチェックされた。こういう社会では銃乱射事件はまず起こらない。よかったよかった。いや、はたしてそれで良かったのか?
 例えを戻そう。言論は、時として人を傷つける。子供社会のイジメもほとんどは言葉が幼い子の心を突き刺しているのである。言葉の力はそれほどに強い。言葉の暴力は深刻だ。だからそれを無くす為に言葉をどう規制すればいいのか。そういう問題に必ず突き当たる。規制すればいいとしたら、誰がそのルールを作るのか。そして言葉の規制が完了したら、人の心の中から憎悪の念は消え去るのか。結局言葉狩りは心の闇をさらに深いところに追いやるだけで、問題の解決は陽の目を見なくなる。問題はそんなに単純ではないのだ。
 また、最初は純粋に善意から規制を始めても、やがてそれは規制する側、すなわち為政者にとって都合の悪い表現を規制するようになる。そうなってくることで単なる規制は言論統制に陥る。言論の自由という概念は、そうなることを避ける為に必要不可欠な概念であって、だから、他者を傷つける恐れのあるようなとんでもない言葉であっても、それを発する自由を基本的な人権として守ろうというものなんだと、僕は考えている。橋下市長が「民主社会においても絶対に許されない言論がある」というのには、やはり疑問を持つし、違和感を覚えるのはそういうところだ。
 
 では一方で、他者を傷つける言葉はどこまでも自由なのだろうか。そうではない。橋下市長の「民主社会においても絶対に許されない言論がある」というのに真っ向から否定出来ないのもそこにある。名誉毀損というのもそういうものだろう。正式に裁判に訴えて裁いてもらうということで対処する方法もある。そうでないオープンな場での発言については、市民がどう判断するかということがひとつの判断基準になるだろう。今回のように週刊誌で書かれた他者を傷つける言葉に対しては、多くの人がそれをどう解釈判断するのかが問われ、それによって雑誌が部数を落とせば、それがひとつの評価になる。それでもガマンできないしスピードがかったるいと思う人は、橋下市長のように激しく怒り、ツイートなどで対抗すればいい。その怒りの発言も、言論の自由で保証されるものだ。当然その発言によって、彼を支持する人も出てくるし、嫌う人も出てくるだろう。政治家である彼がそれで票を増やすも減らすも自己責任だ。
 
 今回の騒動でなんかスッキリとしないのは、登場人物すべてが打算的に見えることである。週刊朝日は、政治的意図というよりも単にスキャンダラスな記事によって売上げを上げたいという浅ましさが前面に立っているように見えた。佐野とかいうノンフィクションライターは、結局有名になった人をいじることで自分の存在感をアピールしようというコバンザメ的な姿にしか見えない。そういうのをジャーナリズムとは言わないと思う。そしてなにより、橋下市長自身が、この騒動を自らの日本維新の会の人気浮揚に利用しようと思っているように映る。こうして結局誰も差別問題への強い想いなどなく、結局その問題の解決になどつながっていないようにしか見えないのだ。これでは30年前に盛んだった糾弾と変わらない。問題は触らぬ神に祟りなし的なところに向かって行くだけである。
 ともあれ、橋下市長の爆発するような怒りツイートに対し、あっさりと白旗を上げる週刊朝日はもうダメだなと思う。ショッキングな内容の記事を出すなら、徹底抗戦する覚悟でやらないとダメだし、その覚悟のない週刊誌はジャーナリズムではまったくない。週刊朝日の元編集長の人も毎日続けていたツイートをパタリと止めて黙ってしまった。佐野というライターもまったく声を上げていない。普通の社会人と違って、彼らは言論人なのだ。言論こそ彼らの唯一の武器なのに、それを放棄したかのような態度で、どうして今後も言論人として生きていくつもりなのだろうか。発言の真意や正義などの判定はともかくも、言論人が自らの言論への批判を浴びた時に黙ってしまうようではどうしようもない。元編集長の人は「対応に追われている」と発言したが、この記事を是認した意味や理由を積極的に主張することこそ「対応」だろう。それなしに何の対応をしているというのか。言論の自由を守る為には、こういう人たちこそ、今積極的に発言すべきである。そうでなければ、橋下市長の「民主社会においても絶対に許されない言論がある」という論が定着してしまう。危惧すべき状況だと僕は憂慮している。