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バンドターミネーター

 僕はインディーズレーベルの仕事をもう22年もしている。バンドを育てるのが仕事といってもいい。
 ところが、僕は多くのバンドを潰している。こういうとなにか悪の権化のように聞こえるだろうが、実際はそうではない。僕の仕事の大きな部分は、バンドにワンステップ上を目指してもらうということである。そうすることで彼らは伸びる可能性に触れられるからだ。だが、この「ワンステップ上」というのがくせ者だ。今までとは違う活動に踏み込むという事であって、ハードルはこれまで以上に高くなるということである。高いハードルに挑めば、場合によってはひっかかって転ぶ。バンドもそうだ。活動の質が高くなる事でついていけなくなるメンバーが出てくる。4人編成のバンドの場合、全員が同じモチベーションで動けるのであればいいが、そういうことは稀だ。大概は2人が積極的で2人はついていくだけ。バンドの活動がワンステップあがる事で生じる負荷に、ついていくだけだった2人のメンバーがついていけなくなる危険性はある。結果として、「オレはこれ以上やっていけない」ということになってしまい、バンドが解散するという結果になってしまう。
 これはとても悲しいことだ。僕自身も仕事が途中で頓挫することになる。それまで関わってきた数ヶ月が無駄になる。精神的なダメージもそれなりにある。
 解決策はあるのか。ある。バンドにワンステップ上を目指させなければいい。でもそれでは僕の仕事にならない。なんとかワンステップ上を目指させなければならない。とはいって過激にそれを強いると、解散する確率も上がる。どこまで強いて、どこまでを見逃すかが、とても難しい匙加減だなと日々感じている。
 とはいえ、バンド内のモチベーションの違いがハッキリするということは必ずしも悪いことではない。インディーズデビューして、それなりに人気が出て、メジャーデビューするというところまで(必ずしもメジャーがいいということではない。メジャーデビューできるほどの人気と状況が備わってきたと理解してもらえれば幸いだ)達したところでモチベーションの違いが露になったら目も当てられない。だとしたらインディーズデビューするかどうかというタイミングでそれが露になる方がまだマシだ。
 やる気の乏しいメンバーがいると、活動はそのメンバーのモチベーションに合わせることになる。週に3回練習したくとも、メンバーの1人が「週1しか無理」というと、週3やるのは不可能だ。そうなると、結局やる気のあるメンバーの向上意欲が結果につながらないということにもなる。ツアーに行こうとしても「そんなの面倒」「休みが取れない」と言われたら行くのは無理だ。活動にも制限が加わる。
 つまり、やる気の差が著しいメンバーを抱えていると、やる気のあるメンバーの音楽レベルも向上しないということになるのだ。だったら、さっさと辞めてもらって新しいメンバーを入れなければウソだ。やる気の無い人から「辞めたい」と言ってきてくれるというのは、実はラッキーなことでもある。そう思えばメンバー脱退や解散はいいことだともいえるのだ。ファンから見ても、やる気のあるメンバーの才能を最大限に引き出した音楽を聴けた方がいいに決まっている。だったら、つまらないメンバーに足を取られていないで、さっさと前に進める協力者(メンバー)を探すべきだ。
 だが、4人メンバーのバンドが全員同じ目標意識とモチベーションということはありえない。そもそも違う人間の中身が同じであるわけがない。だから、多少の違いについては理解し合い、互いに欠けたところを補うような関係性を作っていくということも必要である。多少はなだめすかしながら一緒の方向を見て、バンドとして共に歩んでいける状況を作るということも、やる気のあるバンドマンには要求される。それは結局は自分のためでもある。バンドは1人では出来ないのだから。
 どこまでだったらやる気があって、どこからはやる気が無いと判定されるべきなのか、その線引きは難しい。絶対的数値で決められるものではなくて相対的な関係でしかないからである。また、やっているうちにやる気がわいてくるということもしばしばで、だから、どれだけ楽しくやっていけるのか、どれだけ近場の目標を魅力的に設定できるのかということが問われてくる。
 そういうことを、僕はバンドマンのトラブルに際していろいろと話したりもしている。だからタイトルのようなバンドターミネーター的な側面だけではないのだ。可能なのであれば今やっているメンバーで続けていけるのが一番だ。だが、それにあまりに固執して身動き取れなかったり、するべきでない妥協で長期の停滞を余儀なくされるのは愚かなことだから、きっちりと解散するという選択肢も常にカードとして持ちながら、恐れることなく現実に向き合うことで、何らかの前進を目指していきたいと切に願ったりしているのである。

無関心の罪

 今朝ほどからツイッターで「安倍氏の自民党支部「政治資金でキャバクラ」福岡や下関で16店30回にわたり70万3650円を支払った。」と話題になっていた。東京新聞や中国新聞に記事が載っていたらしい。
 僕は基本的に自民党に復活してもらいたくないし、小泉郵政選挙の片棒を担ぎながらも自身が総理になると造反離党組を次々と復党させた安倍晋三は人として嫌いである。だが、そんな僕が冷静に考えても、この記事で安倍晋三を批判する気にはなれない。まず、選挙の時にもほとんど地元入りしない安倍晋三が、日頃の地元対策で下関や福岡のキャバクラやスナックに行くか? まず行かないだろう。だとすればこれは安倍自身ではなく地元の秘書が有権者を連れて行ったとみるのが相当だろう。しかも30回で70万ちょっとだ。1回あたり2万円程度。割り勘の1人あたりならともかく、平均3人で行ったとしても1回1万しない。そういうところに安倍晋三が行くとは思えない。つまり、これは安倍晋三の下の話ではないと見るのが妥当ということである。
 そして、こういうことが選挙に必要だということでもある。自民党支部の関係者は「政党活動に必要な情報収集、意見交換を行う中で、関係者に応じてさまざまなシチュエーションが必要だった」と説明したそうだ。要するにそういう理由を付けながらもキャバクラやスナックで飲ませて欲しい「有権者」がいて、その人たちがそれなりに地元で票を取りまとめる力を持っていて、キャバクラに連れて行くと「さすが安倍先生、話が分かる!次の選挙も安倍先生で決まりだ」などと本気で思っているのだろう。それは安倍晋三の不徳ではない。おそらく他の政治家のところでも多かれ少なかれあることだと思う。無いとしたら、女性議員か、あるいは寄付も集められず政党交付金も満足に配分されずにカツカツの活動を必死でやっている議員かのどちらかだ。もちろん、女性議員であっても秘書がそういう対策をやっている可能性は否定出来ない。
 つまり、そういうさもしい「地域の有力者」たちによって選挙は動かされているのである。それを許しているのは誰なのか。そういうことをあまり追求しないメディアか?いや、そうではないと思う。そういうことを許しているのは、政治に無関心な多くの有権者である。国政選挙でも投票率は7割いかない。3割の人は意思表示を放棄している。そうなると「キャバクラに連れて行くかどうかで投票先を決める」的な人の1票はどんどん重くなる。選挙対策の秘書がその票を無視できる訳が無い。
 選挙で何が変わるんだという諦めにも似た気持ちは確かにある。次の選挙が行なわれた場合、僕は誰に投票すべきなのか決めきれずにいる。非常に困った気持ちである。だが、だからといって棄権したら、それは怪しい意図をもった政治関係者の思うつぼなんだろうと思う。自分の1票が何かを変えるという明確な答えは見つからなくとも、それでも票を投じるんだという人の総意が、徐々にではあるけれども何かを変えるんだと思う。そうでなければ、いつまでたっても政治家にたかろうとする人たちは無くならないし、この手のスキャンダルは消えることはないと思う。

本物の素人

 前原誠司が「橋下人気にぶらさがって、大阪維新の会から出馬する政治の素人が、当選すると日本はえらいことになる」と発言したらしい。そのことに対して罵倒ツイートがたくさんあった。「素人民主党にまかせた結果が今だろ」というのがその主な趣旨だ。

 だが、それはちょっと違うと思う。個人的に前原誠司は嫌いだし、今の民主執行部を嫌いな理由のかなりの要因が前原誠司にあるとさえ言える。が、だからといって彼の言うことをすべて否定するつもりはない。批判するなら何故批判すべきなのかということをちゃんと考えないと単なる怨嗟になってしまうし、それだとこちらもおかしくなってくる。

 素人民主党にまかせた結果が今なのではない。それはある勢力の後押しをしてしまう短絡だと僕は考える。その論で前原を非難するのは間違っている。では、前原は正しいのか。そうではない。完全に間違っている。政治は行政を御さなければならない。この場合の行政は官僚のことである。なぜなら、政治は国民に審判を受けるが、官僚は審判を受けないからである。行政が政治を御すことになれば、それは民衆が国家に支配されるということに他ならなくなるからである。そのことを先の総選挙では問うた。少なくとも小沢執行部によって出されたマニフェストはそれを意味していた。民主党の候補者はそれを掲げて選挙を戦い、議席を得た。そこまでは良かったのである。しかし小沢勢力が力をつけることを恐れる勢力が反撃をしてきた。当然官僚組織である。それに手を貸したのが現在の民主党執行部である。

 小沢執行部は自民党から政権を奪うとも言ってきた。それはどういうことか。政治の悪しきプロから政治を取り戻そうということである。民主党は、自民を離党した人と、自民から立候補したかったけれども世襲ではないので出られず、日本新党などから足掛かりをつかんだ人と、万年与党だった人とで成り立っている。前原などは自民から出馬できなかった部類だ。自民には二世三世も多く、大臣経験者も多い。そういう人が自分たちの足場を固めるために官僚とくっつく。いわゆる族議員だ。族議員というと聞こえは悪いが、彼らはある分野の専門家である。プロ中のプロだ。素人がよくないというのであれば、そういう族議員に任せればいい。その族議員とツーカーの官僚に任せればいい。官僚とツーカーの業者に任せればいい。官僚は公開入札といいながらも「この規模の仕事の経験を十分に有している業者」といった制限を加え、実質的な新規参入排除をするだろう。そうやって税金が一部で回る社会が出来るだろう。それでいいのなら、そうしていけばいいじゃないか。でも、それはいかんだろう。ダメだろう。だから、これまでの既成の体制を崩す必要がある。既成の体制でのプロフェッショナルではダメなのだ。それが前回の総選挙だったのではないか。僕はそう思っている。

 もちろん、素人議員は誕生するよ。しかし小泉チルドレンの時は面白いくらいにチルドレンが小泉純一郎の言うことを聞いた。だから、小泉純一郎という政策を実行していけたのである。民主主義は数だ。その数が集まれば国会は動く。小泉チルドレンを当選させた当時の有権者は、個々の政治家の政策を信じたのではない。この無名の人に投票すれば小泉純一郎が何かを変えてくれると信じたのだ。民意は国を動かした。

 だが、民主党の当選議員達はそうはならなかった。素人が素人として自覚し、トップを支えるために数となって動きさえすれば、民意は国を動かしただろう。しかし、民主党の当選議員達は不満を持った。自分の思い通りにさせろと。それはある意味勘違いですよ。前原も代表をやったのに政権を取ることは出来なかった。菅直人も代表をやったけど政権は取れなかった。岡田も代表をやったけれど政権は取れなかった。小泉にぼろ負けした。結局選挙で民主党に議席をもたらしたのは小沢一郎だ。そのことを考えれば、自分たちは数として小沢を支えるべきだったろうに、それよりも自分の地位を優先させた。その結果、内部分裂を来たし、今になっている。今の民主党執行部は、プロにもなりきれず、素人にもなりきれない、実に中途半端な自己中心議員でしかない。どれだけ巧言令色を尽くしても、その事実は変わらない。

 僕は、維新が勝つなら勝つでいいと思う。きっと勝たないと思うけれども。だが、もし勝つのなら、本当に橋下人気で勝ったんだということを自覚できる、本物の素人たちで勝利して欲しいと思う。そして橋下が思うように政治を変えて欲しいと思う。橋下の政策がいいとか悪いではないのだ。それが民主主義であり、主権者たる国民の意を汲んだ政治の実現になると思うからだ。小泉の政治が国を悪くしたと言う人がいる。それは一面で当たっていて、一面で間違っている。本当の真実などはどこにもないし、小泉を非難することで自分の立ち位置を確保しようという人は確実にいて、その人のいうことが真実であるはずもないのだ。同様に、橋下の政治が国を良くする一面も、悪くする一面もあると思う。だが、それはあくまで結果であって、本質ではない。僕が重要と思うのは、この国が良くない方向に行こうとした時に、国民がブレーキをかけ、方向転換をさせられる可能性を確保するということである。それさえ担保されれば、仮に橋下の政治が国を壊していったとしても、また修復することを可能にさせる。今の民主党のように、自民とは決別するといって戦ったのに、途中から180度変節して自民と組んで政治をしようとするのは愚の骨頂だ。民主主義に対する最悪の挑戦である。そんなことが許されれば、選挙など必要ないではないか。そしてまさにそのことこそ、既得権を持っている、「プロ」たちの望むところなのである。

 前原誠司の愚かなところは、まさにそこに端的に現れている。素人による政治が悪いのではなく、プロによる政治が悪いのである。現民主党の政治とは、プロと思い込んでいる素人達による政治であって、一番タチが悪い。経験も乏しい素人の政治だから、プロの官僚の力を借りなければならず、結果的に操り人形になっている。なのに自分たちが操られているということにさえ気付かず、国を崩していく。素人を自覚している素人が政治の数としてプロ政治家の駒になることはいいのである。プロと勘違いしている素人が、プロを排除した上で、素人による政治の可能性を批判している。これが愚かであり、哀れである。彼は本物のプロにも成れず、さらには本物の素人にさえ成りきれずにいるのだ。

生き残るということ

 ニホンカワウソが絶滅したという。最後に確認されたのは昭和54年だとか。もう30年以上も前のことだ。その間に絶滅宣言をすることは何故出来なかったのか。いろいろな事情があるのだろう。つくづく、人間は判断の遅いことだなあと思う。
 絶滅したということを認める判断も遅ければ、まだ絶滅危惧の種をなんとかするという判断もまた遅い。今こうやってニホンカワウソが絶滅したよ、かわいそう、などと言ってるヒマがあったら、今まだ絶滅していないものをどう保護するのかについてエネルギーを注いだ方がマシだ。でも、それよりもカワウソかわいそうの情が先行する。かわいそうがるのは人間のエゴだ。でも、そのエゴがなにより優先するのが人間であり、特にこの日本という国の特徴だろうと思う。
 バンドが解散したというニュースに、Twitterなどで「残念だ」という言葉が並ぶ。本当に残念なら、解散する前にCDを買えばいいじゃないかと思う。ライブに行くのだっていい。最近売れてなさそうだと思うんだったらCDを10枚買って周囲の人に勧めるくらいのことをやればいいじゃないか。しかしそういうことは一切せずに、YouTubeで聴くくらいで、解散したと聞けば「残念だ」という。その残念って言葉はどの程度の残念なのか?「バンドが自分たちのお金をつぎ込んで貧乏しながらツアー回ってCD出して、それでYouTubeに新曲を只でアップしてくれることが今後もう期待できなくて残念」ということなのか。それは、残念という感情とはほど遠いよ。もっと言うなら、「これ以上バンドマンから搾取できなくて残念」ということでしかないよ。
 もちろん、バンドが解散する理由は金銭的なものだけではない。だが、音楽をやることで裕福な収入が得られて、多くの観衆の前で演奏が出来るのなら、多少イヤなことがあっても続けるという人の方が多い。それでも内部分裂とかケンカで解散をするのなら、それはもう仕方ないけれども。
 バンドマンの側も、本当に生き残る努力をしているのかと首を傾げたくなることが多い。生き残るためには、自らの存在を広く知らせる必要がある。そのための方法論はいくつもある。お金がかかる方法もあれば、地道だけれどもコツコツとやるべき方法もある。お金がかかる方法はなかなか難しいケースが多い。だが、コツコツとやることは誰にだって出来る。でも、ほとんどのケースでそれは実行されない。つまらないのだろうな、コツコツは。「いい歌を作って、披露すれば自然と口コミで広がりますよ」なんて言う。だが、そんなに簡単にはいかないよ。だって、いい歌かどうかさえ、聴かなきゃわからないんだから。だから聴かせなきゃいけないし、聴かせるための作業をコツコツやらなきゃいけない。そんなバンドに未来はなくて当然。なんとなく日々を過ごし、変化を求めなければ、バンドであろうと企業であろうと個人であろうと、緩慢に死に向かうだけである。
 
 生き残るというタイトルを付けたのは、そのための判断が難しいということを言いたかったからだ。ついさっき、ある人のブログを見た。その人のことは追っているわけではないし、誰かのTwitterで紹介されていたからたまたま見ただけのこと。その人は南相馬の学校でライブをやってきて、そこに暮らしている人たちと向き合って、なんとかしなければと思ったそうだ。その地域では0.798マイクロシーベルトだったそうで、単純計算で年間6.94ミリシーベルトになるらしい。学校内では除染されて0.1マイクロシーベルト台に保たれているそうだが、安心して暮らせる状況だとは言い難い。それでも、様々な理由を抱えて、住民はそこで暮らしている。良いのか悪いのかではなく、そういう現状だということ。もちろんその状況で「安全だ」と考えるのか「危険だ」と考えるのかも、結局は個々に委ねられている。去る理由も、留まる理由も、様々だ。
 僕は東京だってどうなることやらと、いろいろなことを考えた挙句に京都に引越した。それが正しいのか間違いなのかはよくわからない。だが、後悔はない。先日もFacebookで久しぶりに再会した旧友に「放射能ごときにビビりやがって」と言われた。まあその通りだから仕方ないのだが、東京の放射能状況が大丈夫なのかそうでないのか、素人の僕には正直わからない。でも不安に思いながら生きるよりは、多少なりとも不安を払拭することが僕にとっては大事だと思ったから、引越すことにしたわけだが、それが確実な健康的安全を意味するわけでもないし、東京に暮らし続けることが確実な健康的不安を意味するわけでもない。それは南相馬でも同じことだ。海外から見れば東京も京都もたいした違いではないのだろうし。
 先日のテレビでは、最後にニホンカワウソが目撃された高知県のある村が取材されていた。村の人は「人間社会が自然をダメにしちゃったんだろうなあ」ということを喋っていたが、彼の後ろに広がる光景は田舎そのもの、自然そのものだった。それでもニホンカワウソは生き残ることができなかったのだ。僕のような都会育ちの人間にはわからないような微妙な自然の変化が、名前に「ニホン」とついているような動物を絶滅させるとは。
 人間にはわからないような微妙な変化が、動物を絶滅させるのだ。後から感情論で「かわいそう」などと言っても後の祭りである。生きているうちに有効な対策をしなければ、生き残るというのは難しいことである。だが、実際は生きているうちの方が感情論が優先しているみたいで、それがなんとも哀しくなってしまうのである。

野田民主党政治の危険

 野田民主党がどうなのかということについて、もはや論を待たないとは思うが、一応念のため僕が思うところを述べておきたい。
 彼の政治のどこがダメなのかを端的に言うと、主権が誰にあるのかということについての認識不足、いや、誤認にあるのである。
 この国は一応民主主義制度ということになっている。だから国民に選挙権があり、選挙によって国をどう動かしていくべきなのかを決めるということになっている。先の総選挙では民主党も自民党もマニフェストという名の公約を発表し、それに基づいて国民は投票した。つまり国民はこの国の在り様を、それぞれ各政党のマニフェストを元に選択したということに他ならない。
 民主党のマニフェストがどうだったのかについてはいろいろと論があるだろう。デタラメばかり書いている各新聞などは、出来もしないことばかりを約束して国民を騙したマニフェストであり、そんなものは守れるはずが無いと。それについては異論がある。出来もしないことだったのかというとそうではない。それまでとは違う方針で国を変えていこうというものであったから抵抗は大きかった。だから実現に大きな壁はあったが、論理的に破綻しているような内容ではない。それは単に既得権益を持っている側と、既得権益から漏れていた側の攻防であって、マスメディアは既得権益を持っている側の家来のような立場でその論を張っているに過ぎない。今もあのときの民主党マニフェストは実行可能だと僕は思う。問題は、抵抗の多いその理想を押し進めていけるだけの力量を持った政治家がいるのかということだけだ。当時の民主党を引っ張っていた小沢一郎と鳩山由紀夫を表舞台から引きずり降ろしたのが現在の民主党執行部である。獅子身中の虫が、自分たちもそのマニフェストを掲げて選挙をしたにも関わらず、自分はその作成に関わっていなかったかのごとき態度で反古にしている。それが現在の野田民主党ということなのである。
 説明的な文章が続いたので、本筋に戻したい。あのマニフェストはひとつの理想であり、それの実現にはハードルがいくつもあるというのは理解できる。そのハードルを越えていこうという強い意思が政治家には必要ではあるが、百歩譲って今の執行部にはその意思にも実力にも欠けるとしよう。だから、現実を見て実現可能な政治を行なっていくのだというのが、野田政権の今の態度だ。これが根本的に良くない。彼の政権は一体誰から与えられているのか。それは民主主義における選挙制度を根本とした国民主権の考え方を是とするならば、やはり国民から与えられているのである。その主権者の意思を実現するために実務に当たるのが選ばれた政治家の役割である。だが、自民党政治との決別を選んだ国民の意思に反して自民公明との談合に走る。これは完全に主権者たる国民の意思を現場が否定しているということに他ならない。
 これを軍隊を例にして考えるとわかりやすい。軍の最高司令官(肩書きは何であろうと、とにかくトップで決定者)がある国と戦えという方針を示して戦争は起こる。戦争の是非はともかく、戦うとなれば、現場の元帥や大将や末端の歩兵まで含めて全員が戦わなければならない。それを最前線の師団長が「敵国もなかなかいいヤツらだし、俺は彼らと戦うべきではないと思う」と言って戦闘を回避したらどうだろうか。それでは戦争に確実に負ける。戦うべきではないというのであれば、職を辞して別の人に最前線を指揮してもらうべきである。
 戦争をするという例えにすると「それでも戦争は避けるべき」という頓珍漢な反論も出るかもしれない。だからもうひとつ例えてみるが、今度は緊張関係にある両国の国境での状況での例え。軍の最高司令官は「まだ外交でいろいろと和平の可能性を探っている段階だから、国境の警備を厳重にしながらも、絶対に攻撃を仕掛けてはならない」と全軍に命令している状況という例えだ。この時に最前線の師団長が「もう外交なんて面倒なことをやっても、敵国は絶対に妥協などしないですよ。このまま待っていたら相手の兵力が増すだけで、いざ戦闘に入った時に負ける可能性が高まるので、今まだこちら側有利の段階で先制攻撃をするのが得策だ」と言って勝手に戦端を開いたらどうだろうか。現場の感触としてその状況分析がいくら正しかろうと、組織としては完全に間違いである。
 要するに、この国は大きな組織であって、民主主義という理想の基に、国民全体が主権者として政治家を選び、選ばれた政治家は選挙の時の国民への約束に基づいて努力し働くのである。国民が選択した政策こそが実行されるべきであり、それと反対のことをやってはいけないのである。そういうことをしたのでは、もはや組織ではない。すなわち、この日本という国が国家で無くなるということを意味している。野田政権は、それを現在やってしまっている。司令官たる国民の命令を無視し、戦うべきで無いところで戦闘し、戦うべきところで戦闘を放棄している。だからダメなのだ。
 それでも「いや、マニフェストは実現不可能なことなんだから」というのなら、辞して他人にその職を譲らなければならない。すなわち解散総選挙だ。解散の権限は野田総理にある。それは実現不可能なことではない。辞して、その上で自ら「実現可能」なマニフェストを掲げて国民に問い、国民が「野田のいう通りだよね。前のマニフェストよりもこちらの方が国に取っていいよね」と判断すれば、また政権につけるだろう。それから思う通りの政治をすればいいのだ。
 だが、それを野田はしない。そして国民の選択とは真逆なことをする。それは民主主義の否定である。この野田総理の国家が肯定されるのであれば、実質的な戦力を有した自衛隊が、現場で勝手な判断をして暴発することも肯定されるだろう。なぜなら野田は立場上自衛隊の最高指揮官であり、最高指揮官が上司である国民の命令を無視していいのだから、野田の部下である自衛隊の全隊員が各部署で上官の命令を無視していいということにつながる。少なくとも理論上はそうだ。現実に各省庁の末端は総理大臣の政策をことごとくサボタージュしてしまっている。いつそれが防衛省の末端に起きないとも限らない。そうなってはいけないと思うから、僕は現在の民主党政権を構成しているメンバーを否定し、批判しているのである。

ホーム

 日曜日、長男昇太のお宮参りをした。僕らが結婚式をした下鴨神社で息子がお宮参り。不思議な巡り合わせだな。あの時は東京から結婚式のためにやってきたのに、息子はこの神社のすぐ裏の病院で生まれたのだ。
 4年5ヶ月前にもここに集まった家族たちが、あの時はいなかった小さい昇太のために集まった。昇太のためか、自分自身の楽しみのためかは厳密には言えないが、とにかく、楽しそうに集まった。
 お宮参りのあと、近くのお店で食事会。昇太と僕ら夫婦と、松阪のおじいちゃんおばあちゃんと、おばさん。福岡のおばあちゃんと、おじさんおばさん、いとこ二人(昇太目線で)。総勢11人の賑やかな会。嬉しかったなあ。
 なぜ嬉しかったのか?2日かけて考えてみた。それはこの会が、ホーム&アウェイでいうところのホームゲームだったからだ、多分。
 今まで東京から福岡に帰り、兄夫婦と甥姪を加えての食事だったりで、それは、家族の食事に僕が混ぜていただいているみたいなものだったと今は思う。もちろん僕も家族の一員だが、遠くから馳せ参じてきた外様のようなもの。で、結婚してからは奥さんの実家に行き、義父義母義妹と僕ら夫婦。僕がいなくても以前から成立してた食卓に混ぜていただいていた。無論、そんな意識はなく、この家で生まれたかのような馴染みっぷりではあったが。
 だが、日曜日の食事会は、昇太のために、僕ら夫婦の食卓にみんなが集ってくれたような、そんな気がした。僕らのフランチャイズ、京都スタジアムでのホームゲームだった。
 子供の頃は、正月の度におじいちゃんの家に親戚が集まった。でもおじいちゃんが亡くなってからは、その集まりも無くなった。おじいちゃんの家がフランチャイズで、だからみんなが集まれたのだ。フランチャイズもないチームは、何処かにアウェイとして出向くしかない。今は母の家に、兄と僕が集う形。母のすぐ近くに住む兄家族にとって、母の家はセカンドホームみたいなものだし、兄の家で食事会をすることだってある。だから、福岡から遠くに住む僕はいつもアウェイチームだったのだ。
 そんな万年アウェイチームの僕のところに、福岡から、松阪から、万年ホームチームの人たちがやってきた。しかもみんな嬉しそうだ。そういうのが、なんか良かった。
 松阪の家族は日曜日に日帰り。福岡の家族は京都観光をして先ほど新幹線に乗った。
 はあ〜、ふう〜、疲れたよいろいろ。でもそんな疲れを乗り越えて、家族は家族になっていくんだと思う。アウェイチームがホームチームにランクアップするのが、そう簡単であるはずはないのだ。

金メダル

 オリンピックが盛上がっている昨今、まあ僕も見ている口ですが。つい3週間前までは「あれ、ロンドンオリンピックってもうすぐなの?全然盛上がってないけど」なんてことを言っておきながら。
 で、そんな昨今とは関係なく、僕は仕事で単純作業をしていた。朝からずっとやっている作業で集中力を切らさないために、ストップウォッチを取り出した。iPhoneのやつ。で、1工程を計ると、12秒。つまり1分間で5工程出来るということだ。10分で50工程、300工程やるためにはちょうど1時間かかるという計算になる。だが、ちょっとしたミスをすると12秒は20秒にもなる。しくじってはダメだと思えば思うほど緊張して手先が乱れる。結果、計算上の1時間は平気で1時間半にもなってしまう。
 そんなことをしながら、僕は思った。アスリートのやっていることというのはこういうことなんじゃないのだろうかと。僕らはオリンピックを見て簡単に「もっと速く泳げないのか」などという。だが、彼らのやっているのは、僕が1工程12秒かかることを7秒でやるということなんだろうと思う。それを世界のトップクラスが競っていて、人類として6秒半は無理だが、7秒なら可能で、あとはその7秒をどれだけコンスタントにミス無く維持出来るか。そういうことなんじゃないかと思った。
 例えば水泳で、今の泳ぎ方だと7秒だが、工夫すれば6秒90くらいにはなるかもしれないと考える。だから、今までの泳ぎ方を変えてみる。だがうまくいかない。しかしフォーム改造には筋肉改造も伴い、簡単に前のフォームに戻すこともままならない。それでも6秒90になれば、他を引き離すことだって出来るに違いない。そう思って、トライする。それを全世界のトップがやっている。そういう究極のことを4年間やって、ロンドンに集っているのだろう。
 そんなことを考えながら、僕は自分がやっていることはどうなんだろうと考えた。目の前の単純作業の効率を上げることが僕にとっての金メダルではない。だが、こんなことであっても、集中してやりこなせば30分でも速く終わり、その分別のことに費やすことが出来る。その積み重ねが、人生を豊かにするんじゃないかとか、そんなことを考えたのだ。
 このブログも、一時期(ブログに移行する前の日記の頃)は毎日のように更新していた。それは今から考えるとヒマだったということなのだろうか。今は結婚もし、子供も生まれ、自分だけの時間はどんどん減っている。だが、それが自分の人生を小さくしているなんて思うのは間違いだと思う。もっともっと無駄にしている時間が多いような気がする。それを見つけて、減らしていくことで、有意義な時間の使い方を出来るような、そんなことをふと考えたりしたのだ。それが結局もっとブログを書くということにつながるのかもしれない。ブログをたくさん書けば有意義なのかと問われれば、どうなんだろうと首をひねるしかないが、でも毎日文章を書いていくことで、文章は上手くなる。自分は磨かれる。それでいいではないか。人間は水泳が上手いから偉いのか?サッカーが上手いから偉いのか?そうではないけれども、上手くて、オリンピックに出場している人たちは輝いている。人はそれぞれの輝き方がある。文章が上手くなる自分というものにも十分に価値がある。ぼんやりと過ごして文章が下手なままよりは、ずっと有意義だ。
 つまり、水泳が上手い人が目指す金メダルもあれば、サッカーが上手い人が目指す金メダルもある。僕はオリンピックに出場は出来ないけれども、僕なりに目指す金メダルがあっても良いじゃないか。それは日常を見直して、集中力を高めることでそのメダルに近づけるんじゃないだろうかと、そんなことを思ったりしたのだ。
 今日もこうやって、出社して午前中に2つの仕事を終わらせた上でこうしてブログを書くことが出来た。今までならずるずると午後を迎えていたことだろう。ちょっと嬉しいし、誇らしい。まだまだ遠いが、僕なりの金メダルに一歩近付いたような気分がする。

生活

 先月長男が誕生し、僕の生活は一変した。
 生まれてしばらく里帰りしていた奥さんと長男だったが、先日京都に戻ってきた。戻ってきたというのは正確じゃないな。勝手に戻ってきたのではなくて僕が車で迎えにいったわけだから、正確には一緒に帰ってきただ。それにそもそも、長男は僕らのマンションに住んだことなど一度もないので、戻ってきたはおかしいな。やってきたが正しいのかもしれない。
 そんな言葉のことはともかく。
 長男との3人生活が始まって、僕は仕事のやり方を改めた。というか改めざるを得ない。今までは昼前くらいに仕事に行き、夜遅くに帰るという方式だった。朝は寝たいし、夜の方が仕事がはかどる。仕事を除いても元来夜型の人間なのだ。朝早くラッシュ時に出勤なんてありえないと、そう思っていた。でも、生後30日ちょっとの赤ちゃんはそんなことはおかまいなしに生きている。夜だろうと昼だろうとお腹が空けば泣く。おしっこをしたら泣く。目を離すとうっかりうつぶせになりやしないかと心配だし、だから奥さんと交代で赤ちゃんを見てるし、だから基本的に睡眠不足になる。
 朝早くに会社に行くようにしたのは、赤ちゃんをお風呂に入れるのをあまり遅くにしたくないということと、奥さんが料理をする時には僕もいて、赤ちゃんを見てることが役に立つことだとわかったからだ。だから6時には帰り着きたい。そうなると必然的に9時くらいには仕事を始めておかないとということになる。
 遅めに始業、遅めに帰宅というのは、独身時代から続いてきたことで、20年以上そういうパターンで生きてきた。それには理由があるとずっと思い込んでいたし、変えるなんて無理とも思い込んでいた。でも、そんなことはまったくなかった。赤ちゃんという強力な存在の前には、勝手な思い込みなどいとも簡単に吹き飛んでしまう。僕と同じで朝起きるのが苦手だった奥さんも、今は早くに起きるし、そもそも夜もあまり熟睡していない。2人揃って寝不足なのだが、それでもなんとかやっていける。
 僕はこれまで、そういう「思い込み」が吹き飛んだ経験が2回ある。ひとつは、京都に引越したことだ。26年東京に暮らし、生涯をそこで終えると思っていたが、引越すとなると意外にもあっさりと適応出来た。東京に居続けなければいけない理由を、自分の頭の中でずっと持ち続けていたけれど、そんなものは持つだけムダというものでしかなかった。
 もうひとつは、減量だ。もう7年ほど前になるが、骨折して入院手術をした際に医者から「痩せろ」と厳命された。当時の僕は91kg。身長187cmの僕にとってのベスト体重は76kgだと。そんなバカな。僕は比較的骨太で、だから一概に計算で出るようなベスト体重になんてどう頑張っても減らせるわけがない。そう思っていた。だが、きちんと取り組めば体重は落ちるのだ。約半年で18kg減量した。最初は一進一退だったが、後半になると毎週1kgずつ落ちていった。面白かったが、それ以上痩せるのもどうかと思い、そこでストップ。この時も、「骨太」だの「痩せるわけがない」だのというのは思い込みに過ぎなかったのだ。
 人は、いろいろなことを思い込んでいる。絶対にそうだと思っていても、それが絶対であるとは限らない。人がそれを思い込むのは、言い訳を探して辿り着いた、ある種の逃げなんだと思う。逃げてもいいことが世の中にはあるから、思い込むのが必ずしも悪いとは思わないけれど、何かを変える必要がある時、そこに立ちはだかって邪魔をするなんらかの思い込みがあったとしたら、それを否定するのもいいのかもしれない。そうすることで、今までの生活とは違った何かを得られるのだから。新たなものを得るということは、今ある何かを捨てるということでもある。持っているものを捨てるのは寂しいことだ。でもそれを捨てずにいたら、得られるかもしれない新しい何かを、今後の生活から捨てることにもなってしまうのである。それも寂しいじゃないか。
 僕に訪れた新たな生活は、寝不足そのものである。だが、寝不足と不可分で得られた喜びに満ちている。赤ちゃんは泣くよ。うるさいよ。おしっこもうんこもするよ。おむつを替えている最中にピーッとおしっこをかけられることもしばしばだ。うんこをしたらお尻を洗ってやらなければいけないし、ゆっくりテレビを見ている時間もなくなるよ。でも、それが楽しい。それを維持するために、僕は朝型に切り替えようとしている。朝早く起きるのは今も大変だけれど、その分、夕方以降の時間の過ごし方がとても有意義だ。
 そんなことを、最近思っている。

ソウルフード

 福岡出身の僕にとって、ソウルフードはなんといってもとんこつラーメンだ。今でこそとんこつラーメンと言うが、20年くらい前まではとんこつラーメンのことを「ラーメン」と言い、他のは札幌ラーメンや喜多方ラーメンなどといって区別していた。東京のラーメンは中華そばだと譲らなかった。そのくらい、博多のラーメンについてのこだわりは深くてウザイ。
 大学進学で東京に暮らすようになった頃、渋谷にふくちゃんという博多ラーメンの店があった。これが、福岡出身の僕にすればとにかく不味い、博多ラーメン風の食べ物に過ぎなかった。でも、そこ以外でとんこつラーメンを食うことが出来ない。仕方なく時々行って食べた。大学の友人たちがそれを美味い美味いと言う。それがなんとも悔しかった。本場のラーメンはこんなもんじゃないんだよと。
 その後、東京にも美味しいとんこつラーメンの店がいくつか出来た。そのうちの一軒を、高校の同級生の奥さんが「獣の臭いがする」と評した。ああ、博多のラーメン屋のにおいは獣の臭いだったんだとその時初めて知った。それが当たり前だと思っていた。むしろそのにおいが強烈であればあるほど僕らには美味いのだ。でも、東京の人にとって、博多ラーメンは獣の臭いだったのだ。それは地元の人以外には辛いよなあ。東京の多くの博多ラーメン屋が博多ラーメン風の別の味付けにするはずだ。そうじゃないと売れないもの。東京に出来た通好みのとんこつラーメン屋は、それを裏付けるように開店しては潰れていく。福岡出身者だけが通っても、営業は支えられないのだろう。
 
 僕は4年ちょっと前に結婚し、1年ちょっと前に東京から京都に移り、そして19日前に長男が誕生した。長男は京都生まれになる。三重県出身の奥さんも、博多ラーメンに特別の興味などない。長男も、別にとんこつラーメンにこだわったりはしないだろう。この家で、とんこつラーメンがソウルフードなのは僕だけだ。
 今、産後で奥さんは長男と一緒に三重の実家に里帰りしている。体力を回復するまで、約1ヶ月間ほど三重県で過ごす。その間、基本的に僕は京都で一人暮らしだ。今日の夜、僕は一乗寺と修学院の間にあるとんこつラーメン屋で食事をした。偶然だが、今日はその店の開店1周年ということで半額セールになっていた。半額セールを狙って行ったのではない。久しぶりにとんこつラーメンを食べたいと思って行っただけである。
 京都に来て、僕はほぼ毎日奥さんと一緒に晩ご飯を食べている。知り合いもいない京都に越して来て、頼れるのはお互い夫婦だけなのだ。僕が一人で外食をするということは、奥さんも一人でご飯を食べるということになる。それは寂しいじゃないか。仕事の関係で外で食べないといけない場合は仕方ないが、そうじゃなければ一緒に食べたい。となると、帰宅途中にあるラーメン屋にふらりと立ち寄るということはほとんど無くなる。開店1周年のとんこつラーメン屋のことは開店当時から知っていた。だが、家でご飯を食べたい僕にとって、その店は単に通過するだけの店でしかなかった。
 だから、今日はそこのラーメンを食べようと思った。龍の鈴という店だ。カウンターに6席しかない小さな店で、夫婦が2人で切り盛りしている。なぜこんな場所で博多ラーメンをやっているのだろう。そんなことを考えているうちにラーメンが来る。美味いぞこれ。うんうん美味い。やっぱり僕のソウルフードはとんこつラーメンだなあ。
 でも、ちょっと待てよ。本当にこれは美味いのか? 何度も味わって、麺も啜って、替え玉もした。美味いのだ。固麺の具合も程よく、僕はかなり満足した。だが、もしこれを大学生の僕が東京で食べていたらどう思ったのだろうか。多分、不満だっただろう。僕が心に思っている博多ラーメンとは、もっと違った食べ物だったはずだ。そう、これは美味しいけれども、僕の中の博多ラーメンとは何かが違う。僕のソウルフードとは言えない博多ラーメンなのだ。
 では、僕のソウルフードはどこに行けば食べられるのだろうか。福岡か? いや、実は福岡に行ってもすでに僕の心の博多ラーメンはどこにもない。子供の頃に通ったお店も、高校時代に足しげく通ったお店も、今はもうない。親父さん限りでたたんだ店がほとんどで、代替わりしたお店は味が変わってしまっている。福岡の街を席巻しているのは一風堂で、僕はあんなの認めない。でも、あれだけ店があるということは、今の福岡の若者たちは一風堂の味に親しんでいるのかもしれない。彼らのソウルフードが一風堂だとしてもなんの不思議もない。もう、僕の心の博多ラーメンは、心の中にしか存在しないのかもしれない。
 だとしたら、僕はこの京都で博多ラーメンを食べられるだけでも幸せなのかもしれないと思う。違うと思いながらも、27年前の渋谷ふくちゃんよりは遥かに美味い。きっとまた食べに行くだろう。半額セールでなくとも、定価で時々食べに行くよ。その価値はきっとある。
 龍の鈴を切り盛りしているご夫婦は、なんでここで博多ラーメン屋を営んでいるのだろうか。もしかしたら福岡出身の二人なのだろうか。縁もゆかりもない京都で、博多ラーメンを作っている夫婦だとしたら、なぜ京都だったんだろうか。いろいろと考えたら疑問は尽きない。彼らのソウルフードもとんこつラーメンだったのだろうか。それを再現しようと頑張っているのだろうか。
 僕が東京に出ていった27年前は、東京ではちゃんとしたとんこつラーメンが食べられなかったように、各地の名物は地元に行かなければ食べることが出来なかった。しかし今は何でも食べられる。東京には世界各国の料理が集結している。ここ京都でも世界中の料理を味わうことが出来る。博多ラーメンが好きな僕が、そこそこに満足出来るとんこつラーメンを食すことが出来る。嬉しいな。うん、嬉しいな。
 でも、ふと思うのだ。それは本当に幸せなことなんだろうかと。当時の福岡には、とんこつ以外のラーメン屋なんてなかった。ラーメンといえばとんこつだった。それは同時に福岡以外にこのとんこつはなく、だからこそ、僕は博多のとんこつラーメンをソウルフードに出来たのではないかと。今はどこにいようと大抵のものは食べることが出来る。そうなると、今生まれた人が、自分のソウルフードはこれだよというような、そんな経験の蓄積は出来ないのではないだろうか。
 そういう僕も、福岡から離れて暮らすようになって早27年。その間に東京であらゆるものを食べてきた。ナンで食べるインドカレーも当たり前のメニューになった。東京で食べる博多ラーメンに文句をつけているうちに、肝心の福岡のラーメン屋さんが様変わりをした。昨年京都にやってきて、京都風の食べ物をと思っても、毎日京料理を食べるわけもなく、意外とハイカラなカフェに満足し、スーパーで買う豆腐やお揚げがかなり美味しいと喜んでいる。27年前だったら満足しないだろうとんこつラーメンにもそれなりに満足している。とんこつラーメンは、僕の中での唯一の存在ではなく、たくさんある美味しいものの中のひとつというポジションになっているようだ。
 この先、僕の味覚はどうなっていくのだろうか。新たに美味しいものに出会うと、相対的に唯一無二のメニューのポジションは崩れていく。新陳代謝していくのかもしれない。記憶の中の味覚の新陳代謝だ。それでも引退した元横綱の面影を忘れることができないように、今でもあの頃のとんこつラーメンのことを「ああ、あのラーメンは美味しかったなあ。やっぱり僕はとんこつラーメンが好きなんだなあ」と思い出の中で繰り返すのだろう。再び味わうことが永遠に叶わないそのメニューのことを。それでも、僕はそんな味が若い頃に染み込んだということを、とても有難いことだと感謝するのである。自分の子供には、そんな経験が出来るのだろうか。むりやりそれを体験させるということではないと思うし、そんな経験をしなかったとしたら、その代わりになる何かを、僕の知らないところできっと経験するのだろう。
 あなたにとってのソウルフードはなんですか?

夏至

今日は夏至らしい。
日中が一番長いのか。
このところは比較的涼しいけどね。
それに、京都は朝から小雨で湿っている。
水無月という言葉は、水が無い月という意味ではないらしい。
「無」は「の」にあたる連体助詞「な」であって、
だから「水の月」という意味なのだと。
いやはや、日本語は難しい。
と言うわけで、水無月に雨が古都を濡らしている。
東京にいる時は街の和菓子屋などには目がいかなかったが、
京都ではそこかしこに和菓子屋があって、
どれもこれも老舗だとかなんとかで、必然的に和菓子情報に接することになる。
6月には、水無月というお菓子が出回ることになる。
6月30日にはその水無月というお菓子を食べるのが習慣だとか。
面白いね、古都の暮らしは。
水の月なのに、水無月という漢字になっている。
まだまだ夏本番な雰囲気ではないのに、夏至は構わずやってくる。
世の中は、不思議だ。
4年前に僕が結婚したことにたいそう驚いた人も多かろう。
早いタイミングで伝えたかった友が1ヶ月ほど海外に行ってて、
直接話してあげたかったけれどもそいつの帰りを待ってたら他に言えなくなるので、
メールで伝えたら、本当にたいそう驚いたらしく、
その真偽を確かめるために、別の共通の親友に国際電話して30分も話し込んだそうだ。
身近な友であればあるほど、たいそう驚いたとか。
そりゃそうだ。僕自身が驚いたのだから。
で、おととい長男が誕生したよ。
僕も驚いたし、奥さんも驚いた。
妊娠の日々を二人で過ごしてきたというのに、
やっぱり子供に対面したら、驚いたよ。
泣いているのに、抱っこしたら泣き止んですやすや寝てくれたし。
なんでだろうね。やっぱり驚きだ。
人生は驚きに満ちている。
今世情は苦しみに満ちている雰囲気が蔓延しているけれども、
たった20数年前はこの世の花を謳歌していたじゃないか。
あと20年後、世界はまた変わるだろう。
今何もわからずに、でも僕が親だとわかっているのか、抱っこされて眠っている子供が、
成人した時に、明るい世界になっていることを僕は願うよ。
それはまるで一年の間に夏至も冬至もあるようなことだと思う。
良いときも、悪いときもそりゃあるさ。
夏の暑さを苦にして、また冬の寒さも苦にするという生き方もある。
でも考え方で、苦は楽しくもなるんだと思う。
雨が降る季節は、苔が美しいお寺に行くといい。
そして水無月が美味しい季節を心待ちにするといい。
どんなときも、楽しいことはいっぱいあるんだ。
それを、京都の街に教えてもらったような気がしている。
我が子には、そんなことを教えていければ十分だと思っている。