京都は夜半から大きめの粒で雪が降り続き、朝には見事な銀世界が広がっていた。朝息子を起こして窓の外を見せる。保育園に行く前に雪で遊ぶと主張するので、じゃあ早くごはんを食べて準備をして出かけなきゃねというと、そうするという。まあいつものようにじゃれたり別のことを始めたりでそうそう理想通りには準備もできないものの、それでも雪で遊びたいという気持ちも強かったのか、いつもよりは10分以上早くに家を出ることができた。

　エレベーターを降りてホールに出ると、1組の母子が外から駆け込んできた。見知った顔の2人。その母子は昨年の夏頃から見かけるようになった。朝自転車置場で自転車を出そうとしているとその2人は2階のベランダに立っていた。自転車の荷台に座った息子と目が合い、目で挨拶をする。僕も上を見上げて子供に手を降りながらお母さんに会釈をする。そういうことがほぼ毎日続いていた。だから、見知っていたのだ。

　外からホールに駆け込んできたお母さんは片手で子供の手を握りしめ、もう片方の手で白い雪を握りしめていた。僕の顔を見ると会釈をし、「It’s first time to see snow falling!」と僕に話しかけた。

　浅黒い肌をしたその人に「Oh! Where are you from?」と聞き返す。「India」との答え。そうか、インドからここに来た人だったのか。京都は前の冬も何度も雪が降った。それを見ていないというのだから、昨夏に日本にやってきたのだろう。そして毎日ベランダから外を眺めていたのだろう。旦那さんは仕事に行っているのだろうし、言葉も通じにくい日本でどんな気持ちで京都の光景を眺めていたのだろうか。ジュンパラヒリの小説「The Namesake」には仕事のためにアメリカに渡った青年のところに嫁いで移住する女性が描かれていて、インドでは国の外に嫁いでいくということもそんなに珍しいことではないようだ。僕にもサンノゼに暮らすインド人の友人がいて、奥さんはやはりインドから嫁いできた。しかし英語の通じるアメリカに嫁いでいくのと、日本にやってくるのではかなり違うだろう。逞しいなあと羨ましい気持ちにもなるし、同時に、この場所に馴染んでもらえればなあと思う。いや、僕自身この場所の出身なんかではないんだけど。

　その人の人生にとっての初雪は、ベランダには毎日出るのに部屋の外にまでは出なかった母子にとって、早くから部屋の外に出て触ってみたいほどに魅力的だったのだろう。

　僕と息子もマンション前でちょっと遊んで、余裕を持ってバス停に向かったところ、乗るはずのバスが予定時間よりかなり早く近づいていてかなり焦る。息子が歩くのを待っていると乗り遅れるので抱きかかえて小走りに。傘を振って「乗せてくださーい」と言うと待っててくれた。ありがたい。乗ってすぐに時間を確認したら予定よりも6分早い。ああ、これは6分早いのではなくてずいぶん遅れているのだなと理解。雪だものな、仕方ない。保育園のあるバス停に到着した時には予定時間より10分以上遅れていた。これからも遅れながら進むのだろう。仕方ない。仕方ないよな。それでいいよな、雪だもの。

　バスを降りて保育園に向かう途中、空き地で雪あそびをする。息子、楽しそう。そんな顔を見ると僕も楽しくなる。雪だから外出するのが億劫なのは、きっと歳をとった証拠なのだろうなと思う。そう思いながら、保育園から会社までの道のりを、デキの悪いロボットのような覚束ない足取りでいつもの2倍くらいの時間をかけて歩いていった。